ビクッビクッと激しい痙攣を繰り返したかと思うと、哀れなサンドリア兵の身体はがくりと地に落ち、動かなくなった。
ふわりと、ミュゼルワールの銀髪が揺れる………口元から滴り落ちる赤くぬめる液体を、表情を宿さぬ虚ろな瞳のまま、長い舌を出しいぎたなく舐めとった。
辺りに充満する血の臭いに獣人達の興奮は最高潮に達した。長い爪を振りかざし、剥き出しの牙から異臭の漂う唾液をまき散らしながら、数えきれない程のオークがサンドリア兵の亡骸に喰いかからんと群がってゆく。
だが──────。
不意に建物の天井近く、何もない空間に黒い点が突如現れ、みるみるうちに膨れ上がっていくにつれ、周囲のオーク達が嘘のように静まり返っていった。
宙に浮かぶ黒い球体は、そこに存在するというよりも、そこにあった空間を飲み込んでぽっかりと空いた穴のように見えた。やがてそれは徐々に形を変え、黒々とした巨躯をもつ一体のデーモンに姿を変えた。
居並ぶオーク達の表情に一様に緊張が走る。どうやら並のデーモンではないようだ。音もなく地面に降り立つそのデーモンに、武器を抜き放っていた者は鞘に納め、牙を剥き出しにしていた者は表情を改めて、地面にひざまずき頭を垂れていく。
【あさましいことよ………】
抑揚のない声で呟くデーモンに、オーク達の身体に震えが走る。
【矮小な人間共の汚れた血なれども、今は生贄に捧げる貴重なものぞ──────。オーク共よ、ぬしらの口にしてよいようなものではないわ。】
オーク達は一切の反論をせず、頭を垂れたままデーモンの言葉を待っている。
【さて、仕上がりは………ほぅ、上々のようだな…。儀式に入れるのもそう遠い未来ではなかろう。】
デーモンはミュゼルワールの姿に視線を落としつつ満足げに呟いた。そのミュゼルワールはというと、自分を取り巻く周囲の出来事にも、デーモンの姿にもまるで気付かぬようで、虚ろな瞳を宙に向けたまま放心している。
【左様─────…】
不意にデーモンの背後にもう一体の黒い影がすうと現れると、問いともいえぬデーモンの呟きに低い声で答えた。
【まだ仕上げには少々かかれども、その時は近いかと………。】
顔の周りを縁取る四本のねじくれた巨大な角、鎧のごとく硬質化した赤黒い身体。右腕に装着した邪悪な爪状の武器は地獄の鎌と見まがうほどに長く鋭い。体格は平均的なヒュームの三倍はあり、何より特徴的なのはその背から広がる巨大な翼で、固い岩の隆起のようなデーモンの翼とは異なり、堂々たる骨格が見事な曲線を描き、漆黒のつややかな飛膜が張られている。
隣に立つデーモンと似て非なるその姿は、今まで見た事のないものだった。
【うむ。】
頷くデーモンに、未知のモンスターはミュゼルワールを指し示し、
【闇王はさぞお喜びになられるでしょうな。親衛隊の総力をもってしても従わせること叶わなかったかの力が手に入らば、人間共との争いなど瞬く間に終着するは必定──────】
【物言いには気をつけられよ、ノスフェラトゥ卿。そなたの技が親衛隊の総力にも勝るように聞こえないこともないぞ。】
【お戯れを、公爵………遥かエラジアの地より馳せ参じた我の忠誠をお疑いになるか。】
公爵と呼ばれたデーモンがかぶりを振った時、それまで夢うつつを彷徨うかのようにふらふらと身体を揺らせていたミュゼルワールが、不意に蒼白な顔をのけぞらせ、声にならない叫び声を放つと、自らの喉元を激しくかきむしりながら地面に崩れ落ちた。
【む、─────】
デーモンが視線を落とすその先で、地に伏したまま身を二つに折り、苦悶の表情でのたうち回るミュゼルワールが、大きく開けた口から二本の鋭い犬歯をのぞかせ、狂気に満ちた呻き声を上げる。
【仕上がりが近いなどと大口を叩いたのではあるまいな、ノスフェラトゥ卿。】
【とんでもない。その身を焦がす激しい乾きがその証拠。更なる血を欲しておるのです………ほれ、都合良くそこに新たな生贄が二体おりますれば】
ノスフェラトゥが長い爪を持ち上げ指し示してみせるその先には、身を隠すことも忘れ、固まったように動かないラジュリーズとレオノアーヌの姿があった。
(くっ……!!)
ラジュリーズは呆けたような顔で目の前の出来事を食い入るように見つめていたが、ノスフェラトゥの声と共にオーク達の視線が一斉に自分達に向けられるや、素早く剣を抜き放ち油断なく身構えた。
獣人語の解らぬラジュリーズには、不意に現れたデーモンの言葉も、追随するように現れた見たことのないモンスターの言葉も全く理解できなかったが、オーク達の取る態度から、彼らが闇王親衛隊の一員、それもおそらくはかなりの高官であることは想像できた。
一方、レオノアーヌは──────
会話の逐一を理解していた彼は、剣を抜き放つこともせず、ただ全身に緊張を漂わせながらデーモンとノスフェラトゥの姿を睨みつけている。
【連れて参れ………血は流さぬようにな。生贄の血をオーク共が浴びることはあってはならぬ。】
【御意】
深々と頭を垂れたノスフェラトゥが、次の瞬間、ラジュリーズとレオノアーヌの背後にぬうと現れた。とても一瞬で移動できる距離ではない。ありえない出来事に反撃がわずかに遅れ、剣を打ち落とされたラジュリーズがうッと声を上げた。
オーク達が瞬く間に二人の周囲を幾重にも取り囲んでゆく。隙のない包囲網に囲まれ、じりじりと肉の壁に押し出されるようにして、二人はデーモンの眼前に引き出された。
【人間の身体とは何故こうも脆いものか─────…爪をかけられればたやすく破れる皮膚、砕けやすい四肢の骨、全くもってこのような輩が我らの敵など有り得ぬ話だ。一刻も早く、下らぬ茶番は終いにせねばならぬ。】
【御意、もうまもなくにて──────全ては闇王の支配のために】
ノスフェラトゥがミュゼルワールの身体につとその長い爪を触れる。
ビクッと、一度激しく痙攣したミュゼルワールが、震える瞼をこじ開けて、オーク共に羽交い締めにされ動けぬ二人をゆらりと見つめた。
【此度の生贄は何とも血の気が多そうだ………。その血存分に味わいつくすがよい。】
ノスフェラトゥの囁きに、ミュゼルワールがぶるぶると身体を震わせながら床から這い起きた。
オーク共の顔に、言葉にならない喜悦の表情が浮かぶ。
その時だった。
「15秒だ、ダンナ──────15秒だけ耐えてくれ」
それまで抵抗らしい抵抗もせず、武器すら背中に下げたままでおとなしくオークに囲まれていたレオノアーヌが、視線をノスフェラトゥに据えたままラジュリーズに低い声で言った。
「──────!?」
ラジュリーズが頭を振りかぶった時、レオノアーヌの唇から激しい覇気がほとばしった。
「インビンシブル!!」
レオノアーヌの身体がカッと黄色い光に包まれる。
ざわっとオーク達の間に動揺が走った。レオノアーヌの身体に次々掴み掛かろうとする者、狭い中で武器を振り上げ叩きつけようとする者。しかしそのどれもダメージを与えられないと悟ると、魔道士系のオーク達が口々に魔法の詠唱を始める。
ラジュリーズは咄嗟に拳を突き上げ、周囲のオークに体当たりして魔法の詠唱を中断させた。その間に、レオノアーヌがエスケプの詠唱を開始する。
ノスフェラトゥは一瞬顔色を伺うようにデーモンの方をちらりと見たが、デーモンが微動だにせず事の仔細を見物しているのを見て、自らも動かぬことに決めた。
レオノアーヌの詠唱が終了に近い。ラジュリーズは目の前のオークから一太刀の剣を奪い取ると、力任せに凪ぎ払い周囲のオークを一瞬だけ四方に散らせた。
そして、手を伸ばす。ラジュリーズの延ばした腕の先には、はッはッと浅く短い呼吸を繰り返し、身体を屈めぶるぶると震えるミュゼルワールの姿があった。
「なっ、──────ダンナ!?」
詠唱が完了し、身体が一瞬浮遊するような感覚に吐き気を覚えながら、レオノアーヌが驚いた声を上げる。
ラジュリーズの右手がミュゼルワールの手首をがっちりと捉えた。同時にエスケプが発動し、レオノアーヌとラジュリーズ、そしてミュゼルワールの身体はその場からかき消された。
【フッ、オーク共の無能ぶりにも呆れたものよ………。どの程度使えるものかと見物してみれば】
【よろしいのですか、公爵─────追走は容易なれど】
デーモンは三人の消え去った空っぽの空間を冷ややかに見つめた。
【構わぬ、取り戻せばすむことよ。………それよりもあの男………。】
思案するような素振りに、ノスフェラトゥはかすかに眉を上げた。
【いかがなされた。──────あの男とは?】
【うむ、不届きにも脱出を先導したグレーの髪の………】
【武器も抜かずに拘束されたほうですな。】
【先に捕えた器に勝るとも劣らぬ魔力の持ち主のようであったが………。】
ノスフェラトゥは頷いた。
【仰せの通りにて。先の器とは魔力の系統が異なるようなれど、卑小な人間にしてはなかなかのものかと。】
【………ノスフェラトゥ卿、ただちに追走に向かわれよ。そして、先の器と共に、あの男も拘束するのだ。】
【…ほう?】
デーモンの姿が黒い霞をまといはじめ、身体の輪郭がぼやけたと思うと、現れた時と同じ漆黒の球体となった。球体は徐々に小さくなり、やがて点となる。
【例の儀式は器にかかる負担がとてつもなく大きい…。器が砕けてしまっては元も子もないからな。予備の器が必要だ。儀式の失敗だけは何があろうと避けねばならぬのだから──────…】
言葉だけが残響のように残り、黒い点は完全にかき消された。
【…御意】
ノスフェラトゥは何もない空間に向け優雅に一礼した。
* * *
ジャグナー森林に出現した三人の身体は、夜露に濡れた地面の上に投げ出された。
所々岩肌の覗く草地に着地したラジュリーズが、間髪入れずミュゼルワールに当て身をくらわせ失神させる。
「どういうつもりだよダンナ、えぇ? なんだってこんな奴連れてきちまったんだ!!」
ぜぇぜぇと肩で息をついていたレオノアーヌが、ラジュリーズを睨みつけ悪態をつく。
ぐったりとしたミュゼルワールの身体を抱きとめ、地面におろしたラジュリーズは、自らも草地に腰をおろしながらそれに答えた。
「どういうつもりとはなんだ? オレ達の目的は最初からこの男だ。お前にもそれは言ってあるだろ。」
「冗談じゃねぇぜ!! こんな化けモンどうしろってんだ!? 王都に連れ帰って檻にぶち込んで見せ物にでもすんのか?」
レオノアーヌはさかんに悪態をつきながらうろうろと歩き回っている。ラジュリーズは荒い呼気を整えると、身体を起こし、地面に横たわるミュゼルワールを担ぎ上げた。
「とにかく移動するぞ。ここはラヴォール村の目と鼻の先だ、すぐに追っ手が来る。」
「移動ってどこにだよ? まさか本気でサンドに連れてく気か?」
「いや、─────」
ラジュリーズはわずかの間言葉を途切らせ思案していたが、やがて顔を上げた。
「ブンカールに向かう。鉄羊騎士隊が駐屯しているはずだ。」
「鉄羊騎士隊か、あのおっかねぇ隊長がコイツ見てなんて言うかな。問答無用で切り捨てるんじゃねぇ?」
「こいつ呼ばわりはよせ………。お前はこの男の事を分かっちゃいないんだ。」
「分かるぜぇ? うまそうに人の生き血をすする化けモンだってことはよぉ!!!」
「──────行くぞ。」
それ以上のことは言わず、ラジュリーズはミュゼルワールの身体をしっかりと支えると歩き出した。
「…チッ」
レオノアーヌが忌々しげに舌打ちし、その後を追う。
半年前
ウルガラン山脈
「全軍撤退!! ………聞こえたか、全軍撤退だ!! 騎乗者は歩兵の退路を確保しろ!!」
白煙に覆われ、血飛沫の舞い上がる雪原を鋭く貫く声。
赤狼の紋章を戴く者達にとって、その声は絶対だった。両翼に展開していた陣形がみるみるうちに形を変える。
巨大な爪で複数の騎兵をなぎ倒したタウルスが、地面に放り出される兵達に禍々しい光を宿らせた双眼を向ける。死の宣告の発動を見たミュゼルワールが鐙を蹴り、神速でタウルスの背に迫った。疾風と共に空を裂く刃がタウルスの角を根元から斬り落とす。轟くような咆哮を上げ、タウルスが鈎爪を真横に薙いだ。上体を低く伏せ瞬時に攻撃をかわしたミュゼルワールは、そのまま身体をひねると、刃の一薙ぎでタウルスの脇腹から肩口まで一気に斬り裂いた。
「ひるむなッ!! 貴様らの剣の通用せん相手ではないぞ!!」
鋭く叫ぶミュゼルワールの耳元を、デーモンの放った火矢がかすめながら飛んでいく。
チッと舌打ちすると、ミュゼルワールはチョコボを走らせながら騎上で長弓を構え、鋭い音と共に矢を撃ち放った。
正確に眉間の中央を射抜かれ、デーモンが断末魔の咆哮を上げながら地に沈んでいく。
「弓とはこう使うのだ、馬鹿め」
「ミュゼルワール隊長!!」
腹心のローランがチョコボを並走させながら呼びかける。
「後方支援部隊の退避は完了しました!! 我らも撤退を!!」
「王都への伝令は?」
「もうまもなく着く頃かと」
「よし」
ミュゼルワールは最後まで戦場に残り敵の侵攻を食い止めていた部下達に号令を放った。
「ご苦労、我らも峠へ向かうぞ!!」
「はッ!!」
ブンカール浦──────
生い茂る草木の影からレオノアーヌは闇を伺っていた。
視線の先には泉に四方を囲まれた孤島にかかる古い橋がある。王国軍支配時にはサンドリアの哨戒兵が立つその場所には、今はオークの姿しかない。
レオノアーヌはかぶりを振ると、ラジュリーズの待つ南東の隠し通路へと音もなく戻っていった。
ラジュリーズは洞窟と呼べるほどの深さもない岩壁の窪みに身を潜めていた。
足元には、意識を失ったまま微動だにしないミュゼルワールが横たわっている。
ミュゼルワールを気絶させたのは当て身を喰らわせたラジュリーズ本人であるが、それ以来ミュゼルワールが一度も目を覚まさないのは、何か他に理由があるのではないか。そんな気がしてならなかった。ラジュリーズは顔をしかめ、頬の削げたミュゼルワールの不気味なほどに蒼白な顔を眺めた。
夜露を含む草花を踏みしだく音がする。
ラジュリーズがはっと顔を上げ、剣の柄に手をかけた時、ガサガサと音がしてレオノアーヌのアッシュグレーの頭髪が木の幹の陰からひょいとのぞいた。
「お前か、─────」
「なぁにビビってんだよ。」
レオノアーヌはニヤニヤしながらラジュリーズの隣に腰を下ろした。
「どうだった、砦の様子は」
一転して顔をしかめ、レオノアーヌはお手上げといった表情で肩をすくめる。
「よかねぇなあ。オーク共しか見当たらねぇでやんの。鉄羊騎士隊が駐屯してるなんてホントかぁ?」
「戦況が変わったか………。」
「味方がオークに変身したんでもねぇ限りそうなるだろうな。ったくよ〜、どうすんだよダンナ〜」
レオノアーヌの声に、ラジュリーズは溜め息をつくと、辺りを見回した。
「今日はもう動かねえ方がよさそうだ。幸い奴らもここまでは来ないようだし、今夜はここで野営するぞ。」
「あ〜あ。今頃は一仕事終えて女共とよろしくやってるはずだったのによ…。ムサいヤロー三人で夜明かしなんてサイアクだぜぇ。」
言いながら、チェラータを無造作に脱ぎ、肘下を覆うシックマフラを外す。腰に下げた革袋を探り、レオノアーヌは一粒の胡桃を取り出した。ジャグナー森林を移動中に手に入れたそれを片手でこともなげに握りつぶすと、レオノアーヌはばらばらになった殻を地面に落とし、中身を口に放り込んだ。
ふと、自分の顔を見ているラジュリーズに気付き、仕方がないといった大仰な仕草で革袋を探る。
「ほしいならほしいって言えよ。」
宙に放られた胡桃を片手でキャッチし、同じく殻を握りつぶしたラジュリーズは、強い芳香を放つその実を口に含み、考え込むように視線を宙に投げた。
「女か、──────まぁ確かにな。」
呟くともなくそう答えるラジュリーズに、レオノアーヌが満面に喜色をたたえてにじり寄ってくる。
「おッ? なんだぁ? ダンナも結構好きモンだったりするってか?」
「好きモンとかお前な………」
「言い方変えたっておんなじだろ。そうだよなぁ〜毎日毎日獣人共と戦って、いつ死んだっておかしくないこんな状況じゃ、色々溜め込むだけ馬鹿らしいってもんだよなぁ。」
レオノアーヌは自分の意見が同意を得られているかなどおかまいなしに持論を展開する。
「獣人共を斬って斬って斬りまくって、稼いだ金で女共とヤリまくる!! これだから傭兵はやめらんねぇってな。知ってっか、連邦の猫兵隊ども、あの耳と尻尾使ってとんでもねぇ技繰り出してきやがるんだぜ!! 聞きてぇ?聞きてぇだろ?」
その技というのが少なくとも戦場で繰り出される類いのものではないのは確かだろう。ラジュリーズは苦笑した。ウィンダス連邦といえば、長年に渡りサンドリアと大陸の覇権を争ってきた国である。今でこそ獣人軍との闘争に意識を奪われがちで人間同士の諍いは下火になってこそいるが、れっきとした敵国には違いないのだ。
「なぁんだよ、ノリが悪りィな。やっぱお偉いお貴族様はエルヴァーンのお姫様でねぇとヤなんか?」
「そうでもねえが………」
「ほうほう」
レオノアーヌがニヤけた顔をずいと寄せてくる。
「で? お貴族様はどんなのが好みなんだ? やっぱ耳と尻尾? それとも─────」
「それも悪くはないがな………、オレはヒュームの女かな。」
言質を取ったと言わんばかりにレオノアーヌが悪い笑みを顔中に浮かべる。
「あんた………、見かけに寄らずスケベだなぁ。」
「あぁ? なんでだよ」
「だってよ〜ヒュームの女だろ? 王都にヒュームの女なんて数える程しかいねぇじゃねえか。敵国の女かっさらっててめぇの好きにしようなんざダンナも趣味が悪いぜぇ。」
「別に………好きにしたいなどとは………」
珍しく口ごもるラジュリーズに、レオノアーヌが悪ノリする。
「で? で? どんなヤり方すんの? やっぱ敵国の女だけに捕まったスパイごっことかすんのか?」
「い……いい加減にしろ」
顔が赤い。レオノアーヌはこらえきれずに笑い出してしまった。
「な〜るほど。分かったよ。惚れた女がいやがるんだな。あ〜いいって、別に言い訳なんかせんでも」
くっくっと笑いながら胡桃を口にするレオノアーヌに、ラジュリーズは努めて平静を装いながら水筒の水を飲み干した。自分の顔が赤くなっていることには気付いていないようだ。
「お前は─────、いないのか? 決まった女とか、大切に思う人は。」
「いねぇよ?」
こともなげに言い切ると、レオノアーヌは砕いた殻の欠片をひゅっと音を立てて草むらの向こうに放った。
「めんどくせぇだけだ。誓いとか、約束とか─────明日をも知れねえ命なのに、何を誓える? 誰に誓える?」
「あちこちの軍を渡り歩くのもそのためか………。」
「おうよ。金さえよけりゃ敵国だろうが関係ねえぜ。」
「敵国か…闇王軍はどうなんだ? 獣人語を解するお前なら奴らに取り入ることも可能だろ。」
「あ〜あいつらはダメだな。だって女がいねぇもん。いくら俺様でもモンスターとヤるのはちっとなぁ?」
どこまで本気なのか分からないことを言う。
レオノアーヌも自分の水筒を取り出すと、ぬるくなった水をゆっくりと飲み下した。
「俺が信じるのはてめぇの腕だけだ。それだけありゃ生きていける。どこの戦場だって渡っていける。あとはこの男前の顔に寄ってくる女共と楽しめりゃそれでいいのさ。」
不敵に笑う男の顔を見ているうちに、ふと──────、
ある疑問がラジュリーズの脳裏をよぎった。
もしも戦争が終わったら………
この終わりの見えない戦争にも、終焉の時がいつかくるのだとしたら………。
その時、この男はどうするのだろうか。
しかし、ラジュリーズはその疑問を口にはしなかった。
明日をも知れぬ戦場で、何を、誰に誓えるのか──────…。
明確な答えは自らの内にある。しかし、レオノアーヌの言葉を否定する気にも、なぜかなれなかった。
「……くそ、チゴーが多いな、ここは」
剥き出しの手首をぴしゃりと叩きながら、レオノアーヌがいまいましげに呟く。
潜入・隠密行動の色合いが濃い今回の任務である。大振りな得物を振り回せる場面ばかりとは限らず、両手剣と共に短剣も携行していたレオノアーヌは、幅広の短剣の美しい刃をひらめかせると、草葉の上にとまっていた小指の先にも満たないチゴーを二、三匹、さくっと串刺しにした。
「きりがねーや、くっそ」
「せめて火が焚けりゃいいんだが、まぁ我慢しろ。」
レオノアーヌの手の平で潰れたチゴーが、赤い血を散らせている。チゴーの血ではない、たった今吸われた自分の血であろう。レオノアーヌは手の平の死体を払いながら、地面に転がされ死んだように動かないミュゼルワールの姿に初めて視線を向けた。
「人の生き血を吸う化けモン、か─────。」
吐き捨てるように呟く。
「なぁあんた、さっきコイツのこと庇ったよな? 化けモン呼ばわりすんなっつってよ。ありゃ何でだ? どう考えたってマトモじゃねーだろうが、今のこいつは」
「………」
ラジュリーズは瞼を閉じると、表情の伺えぬ声でゆっくりと答えた。
「半年前、赤狼騎士隊に起きたことは知ってるか?」
「あぁ、………」
レオノアーヌが記憶を辿るように視線を宙に巡らせる。
「確かオーク共を追っかけてった先で、闇王親衛隊の奴らとぶつかったんだったな。こいつが失踪したのはその時なんだっけ?」
「闇王親衛隊という言葉自体、あとから判明したもんだ。あの当時、デーモン族とオレ達人間が邂逅したことはまだなかった。ミュゼルワールの部隊が最初だったんだ、奴らとまともに交戦したのは──────」
「フン、──────それで?」
ラジュリーズは地に伏したミュゼルワールの横顔に視線を落とした。
「今でこそ親衛隊の使う厄介な技の数々もあらかた解明してるが、当時の赤狼騎士隊にとっては全てが未知の敵──────撤退命令を出してからもこの男は最後まで戦場に残って戦い、動ける味方の全てがラングモント峠に消えるまで、しんがりを守って動かなかったそうだ。」
「………」
レオノアーヌは面白くなさそうな顔で話を聞いている。
「親衛隊は結局、峠を越えて王都に進撃することはなかった………。伝令を受けてオレ達王立騎士団がボスディンに駆けつけた時には、数えきれない程の敵の死体を残して、ミュゼルワールの姿は消えていたんだ。南サンドの凱旋門前やロンフォールの森で、赤狼の紋章をつけた隊員達が毎日のように訓練をしてるだろ? あれは赤狼騎士隊の生き残りだ………他の部隊に編入されることを頑なに拒み、主が帰ってくると信じて訓練を続けている………」
「へぇ。泣かせる話だな。」
馬鹿にしたような口調に、ムッとしたラジュリーズが顔をしかめる。
「分からねぇか? 万が一、半年前のあの時にミュゼルワールが親衛隊を食い止めることをせず、敵が王都に攻め込んでいたら………王都は陥落していたかもしれねえんだ。救国の英雄なんだよ、この男は──────…。」
レオノアーヌがフフンと鼻で笑う。
「その英雄が味方の生き血をうまそうにすすってるんじゃ洒落になんねぇなぁ。こいつに殺られた捕虜だってさっきの一人とは限んねぇだろ? ──────英雄か、とんだ英雄もいたもんだぜ。」
思わず拳を握りかけたラジュリーズだったが、ぐッと奥歯をかみしめると、拳をほどき視線を反らせた。
「傭兵のお前には所詮分からん話か。………」
「お〜お、嫌味な言い方すんねぇ。せっかくちったぁ仲良くなれたと思ったのによ。まぁ所詮お貴族様ってとこか」
ラジュリーズは答えず、荷物の中から薄手の毛布を取り出すと、自分の肩にばさっとかけた。
「交代で寝るぞ。ミュゼルワールがいつ目を覚ますとも限らん、二人同時に寝るのはなしだ。オレは先に寝る。」
「勝手に決めてくれちゃって………」
ふてくされるレオノアーヌには答えず、ラジュリーズは瞼を閉じた。
再び半年前
鎖につながれたミュゼルワールが、長い眠りから目を覚ました。
覚醒と共に襲い来るすさまじい激痛にミュゼルワールは顔を歪めた。どうやら左肩を負傷しているらしい。歯を食いしばり痛みをやりすごしていると、徐々に意識がはっきりとしてくる。
なにがあったのか──────…、ここはどこなのか──────…、
とりあえず自分が死んではいないことだけははっきりしているが。
なにがあったのか、は、途中までなら思い出すことができた。オークとの戦闘中突如現れた未知の敵、圧倒的な戦力差の下での悪夢のような戦闘。撤退の指示を出し、後方部隊に続いてミュゼルワールの本隊もボスディン氷河への峠を突破した。………そして、
(クッ─────、)
そこから先の記憶が、なぜか急に曖昧になる。
部下を逃がす為にしんがりに残ったような気がする。
ボスディン氷河を南西へ抜け、最後まで自分の側に付き従っていた副官を怒鳴りつけラングモント峠に逃がしたような、
群がりくる敵を、狭い地形を利用して数体ずつさばき、タイミングを見て自らも峠に飛び込もうと背後を伺い──────
そう、ラングモント峠に飛び込み、入口を破壊して通路を封鎖できれは、サンドリアへの唯一の道を閉ざすことができる。
(それから─────それからどうなった? オレはなんでこんなところに繋がれてる?)
頭が割れるように痛い。
思わず身体をよじらせたが、頑丈な鎖で柱に縛り付けられた身体は、身じろぎすることもかなわない。
ミュゼルワールは故障具合を確かめようと自分の身体を見下ろした。使い物にならないくらい破壊されてはいないか? 脱出を試みるだけの力は残されているか──────?
身につけていた鎧は剥ぎ取られ、上半身がほぼ剥き出しの状態だった。お陰で左肩の傷がよく見える。
刃物というよりは巨大な牙かなにかで引き裂かれたように見えるその傷はかなりの深手だったが、幸いそれ以外の外傷はないようだ。
回復魔法を唱えようとして、ミュゼルワールは自分の魔力が底をついていることに気付いた。単純にMPがないというのではなく、何か─────体内の魔道の流れを妨げるような不自然な力を強く感じる──────…。
(この傷………オークの牙にかかって? いや、違う。オーク共の大半は既に死んでいた………)
考えろ。考えろ。
ミュゼルワールはずきずきと熱く疼く傷の痛みを忘れようと固く瞼を閉ざし自問する。
(あの時──────)
敵の攻勢にわずかに陰りが見え始めた。地の利がないと悟ったか、無謀に突進してくる敵の数が減り始める。
いける─────、ミュゼルワールがそう考えた時だった。
不意に、
何の前触れもなく、自分の目の前にすうと現れた巨大な影に、ミュゼルワールはびくりと身体を震わせた。
【これは驚いた………】
口角の引き裂かれた大きな口から、ミュゼルワールには理解の出来ない言語が洩れてくる。
【こちらの大陸にも、なかなかうまそうな人間がおるものだな─────。全身から発せられる魔道に満ちた気がなんともそそるではないか………。】
「─────クッ!」
ミュゼルワールは歯を食いしばると、凄まじい気合いと共に目の前に立つ黒々とした奇怪な姿に渾身の一撃を浴びせかけた。
確かな手応えがあった。だが、刃にかかって断末魔の悲鳴を上げたのは、魔物が瞬時に召喚した一匹の屍犬だった。ミュゼルワールの背後からねめくつような声が囁く。
【ほう、剣技もなかなかのものだ。ためらいのないその太刀筋気に入ったぞ。】
振り返る暇もなく、鎌ほども長さのある五本の爪がミュゼルワールの左肩に撃ち下ろされる。
「ぐあッ!!」
思わず声がほとばしる。しかし傷をかばう様子も見せず、素早く剣を取り直したミュゼルワールは、敵の心の臓めがけて鋭い突きを放った。
ガイン!!
すさまじい音と共に、ミュゼルワールの太刀をさばく魔物の爪が火花を散らす。二太刀、三太刀─────間隙を入れず叩き込んだミュゼルワールが、二、三歩後方に退き一旦魔物と距離を空けた。
そのまま二人睨み合う。
じり……、じり、…武器をぴたりと構えたまま、わずかずつミュゼルワールが歩をずらす。魔物は同じだけ歩をずらし距離を均等に保つ。
行き詰まるその光景に、やや距離を置き見守る敵部隊は身動きすらしない。
──────ポタリ…。
ミュゼルワールの肩口の傷から、溢れ出した真っ赤な血の雫が、空を流れ落ち地面に当たってはじけた。
それが合図だった。二人の身体が同時に躍り、空を切り裂く刃と巨大な爪が、鋭い金属音を響かせて交差する。
ギリッ、──────二つの武器が噛み合い、…膠着する。わずかでも押し負けた方が敗北する──────…
だが。
その時だった。
鋭い爪でミュゼルワールの剣を食い止めていた魔物が、口角から赤い舌を覗かせ、顔に飛んでいたミュゼルワールの血の飛沫を舐めとった。
【其は乱れ咲けき椿の赤なり──────猛き若獅子の熱い血よ】
くぐもった声が詩歌とも呪歌ともつかぬ言葉を発する。
【呼応せよ………我に流るる業の血に!!】
「……あ……?」
不意に、ぐにゃりと、視界が歪む………足元の地面が崩れてなくなるような浮遊感、全身が意思を手放したかのようにいうことをきかない、………
ガシャンと、派手な音を立ててミュゼルワールの手から剣が地面に落ちた。
(しまった…!! これは─────)
【このまま殺めてしまうには、あまりに惜しい………】
呟くと、魔物は見事な両翼を高々と広げ、全身を震わせるミュゼルワールの傍らに一瞬で着地した。
すっと腕をのばす。長い爪でミュゼルワールの頭部を掴み、その身体を持ち上げる。
(魅了の一種か、畜生………っ、カラダが動かねぇッ──────…!!)
二倍程も体格差のある黒い影に持ち上げられ、ミュゼルワールの身体はぶらりと宙吊りになった。
【まともに食事をするのは久方ぶりだ──────…。我が舌を満足させ得る逸品にはなかなか出会えなくてな………。そなたなら楽しませてくれそうだ。】
言うと、黒い影は口角の引き裂かれた巨大な口をニッと開き、鮮やかな赤い血をしたたらせるミュゼルワールの左肩の裂傷に深々と牙を突き立てた。
「ぐあああっ!!」
発せられる叫び声をも喜悦とともに飲み込み、黒い影──────ノスフェラトゥは満足そうに男の血をすすり始めた。
一度眠りに入ったラジュリーズは、そのまま数刻立っても目を覚ます気配をみせなかった。
暇つぶしに胡桃の殻を短剣で削り、撒菱状の欠片をいくつも作っていたレオノアーヌは、それにも飽きると短剣を放り出して大きくのびをした。
「…ったく、なぁにが交代で寝るぞだよ。俺にばっかコイツの番を押しつけやがって。」
叩き起こしてやろうかと、レオノアーヌが身体を起こしかけた時、それまで微動だにしなかったミュゼルワールの身体が、びくと、動いた。──────ような気がした。
「あン? ……」
レオノアーヌは怪訝そうにミュゼルワールのほうを覗き込んだ。…動いてはいない。姿勢も先程と変わっていない。
「気のせいかよ…」
レオノアーヌは考えが変わったようにラジュリーズを起こすのをやめ、先程放り出した短剣を拾い上げると、くるくると器用に手の平の上で回し始めた。
しばらく思案げにしていたレオノアーヌが、ぴたりと短剣をもてあそぶのをやめる。視線は宙に向けたまま、刃渡りの大きな刃の切っ先を垂直に下に向け、レオノアーヌはすっと右腕をのばした。
吸い込まれるように美しい刃の切っ先の真下には、横たわるミュゼルワールの青白く晒された無防備な首筋がある。
「………」
レオノアーヌは冷ややかな瞳でミュゼルワールの顔を見下ろした。
「英雄だかなんだか知らねぇが─────…、一度堕ちちまえばおんなじだ。期待するだけ無駄なんだよ、ダンナ」
最後の言葉はラジュリーズに向けて呟く。
きらめきを放つ刃をひらめかせ、レオノアーヌは柄を握る右手に力を込めた。──────だが。
「……う……」
かすかな、呻き声が響き、レオノアーヌは手を止めた。
ラジュリーズが目を覚ましたのだろうか? ─────いや、違う。
その声は確かに、ミュゼルワールの唇から発せられたものだった。レオノアーヌは顔をしかめる。
さっさとやってしまうべきか。
だが、次の瞬間、ミュゼルワールの唇から苦しげに洩れた声を聞いたレオノアーヌは、眉を上げた。
「貴様……ら…に………王…の、墓は………、けがさせん──────…!! 絶、対………に…!!」
その声には確かに、人の意志を持った響きがあった。
「──────…」
刃の先をぴたりとミュゼルワールの首筋に当てたまま、レオノアーヌがかすかに目を細める。
ミュゼルワールははっきりと覚醒したようだった。瞼をゆっくりと持ち上げ、全身をびくりと震わせる。周囲に視線を巡らせ、自由の利かない身体に気付き、そして刃をつきつけるレオノアーヌの存在に気付く。
「なん…だ………? 貴様は………?」
「驚れぇた─────まだヒトの言葉しゃべれんのかよ。」
「何─────…?」
不意にミュゼルワールは顔を歪め、食いしばった歯の間から悲痛な声を洩した。
「くっそ………頭、が、割れそう………だ…。」
「そうかよ。今すぐ楽にしてやろうか?」
ミュゼルワールの耳に言葉が正確に伝わっているのかどうか、定かではなかった。
ほんの一瞬前、確かに人の言葉を喋ったミュゼルワールの全身に、はっきりと目に見えて分かる異変が起こりはじめている。
後頭部を地面にしたたかに打ち付け、のけぞる身体がわなわなと震える。血管の浮き上がる額と首筋、つい先程レオノアーヌの顔を睨みつけたその瞳は、今は虚空を映すのみで人の意志が窺えない。
全身がびくびくと震え、獣のような咆哮が喉の奥からわき上がる。
「グ………アァ…ッ、──────アァア!!」
空に突き出された赤い舌、口角の両端から覗く鋭い犬歯が、月光を浴びて異様な光を放つ。
王国兵の首筋に牙を突き立てるミュゼルワールの姿が、レオノアーヌの脳裏をよぎった。
「化けモンが─────…」
思わず口にする。
ラジュリーズには否定されたが、その呼び方も、あながち間違いではなかったとレオノアーヌは痺れたような頭で考えた。
女神の慈悲とやらも魔に堕ちたその姿には及ぶまい………。レオノアーヌは手にした短剣をためらいなく振り上げた。
【…化け物、か──────。低俗な響きだ。数十年ぶりに血を分け与えた同胞ぞ、そのような俗悪な呼称我が許さぬ。】
不意に、耳元で響く低い声に、レオノアーヌはがばと身を跳ね起こした。
咄嗟のことに、それが人の操る言語でなく、獣人の言葉であることに気付かない。だが、ゆらりと辺りにただよう異様な妖気に、ただならぬものを感じ取ったレオノアーヌは、素早く背中の両手剣を抜き放つと中段に構えゆっくりと周囲をねめつけた。
【ほう、此度は剣を抜くか。先程は抜刀すらせずどれだけの腰抜けかと思われたが、多少は骨があるようだな。】
【俺は勝てねぇ戦はしねえ主義なんだよ。】
はっきりと、獣人公用語で声を放つレオノアーヌに、ノスフェラトゥは意外そうに眉を上げた。
【我らの言葉を解すか、面白い…。公爵の命令とはいえ気が進まぬことではあったが、そうとなれば話は別だ。─────人間よ、我らと共に来い。矮小な貴様にはもったいないほどの余興を見せてくれるわ。】
【や〜だね。誰が行くかボォケ!!】
言うが早いか、上半身を落とすと同時に地を蹴った。力強く踏み込み、左下段から右上へと疾風のように剣を薙ぐ。当たれば確実にクリティカルとなるすさまじい一撃は、しかし飛翔によりかわされた。ノスフェラトゥは宙に身を置いたままクッと笑い、
【大味な──────…。そこの器の剣技には及ばぬな。少々かいかぶりすぎたか】
【っ抜かせ!! くらいやがれ!!!】
驚異的な速度でブリザドIVの詠唱を終えたレオノアーヌが、身を翻し地面に着地する。同時に、高々と天にも突き刺さる勢いで、すさまじい氷柱がノスフェラトゥを中心に輝く白い花を咲かせ、直後砕け散った。
「へっ、ざまぁみやがれ………ん?」
人の言葉で呟いたレオノアーヌの真横の地面に、ノスフェラトゥの長い爪が撃ち下ろされる。
【そなたの魔道の匂いの根源はこれか──────。ますますもって面白い】
地面に深い穴を穿ったノスフェラトゥの爪が、まるで意志を持つ生き物のように動き、レオノアーヌの身体を紙一重でかすめる。レオノアーヌは素早く攻撃をかわすと、剣の先で敵の動きを牽制しつつブリザガIIIを放った。
「くっそ…!! 氷はあんま効かねぇみてえだな。こいつアンデッドか!?」
さらには精霊魔法そのものに耐性でもあるのだろうか、まともにダメージが入っている気がしない。
それならと、両手剣を構え直したレオノアーヌの身体が硬直した。ノスフェラトゥがスタンを唱えたのだ。
【─────クッ!! てめェ卑怯だぞ!!!】
【戯れ言を………。】
硬直の解けたレオノアーヌが再び剣を構え直した時、ノスフェラトゥの巨大な翼が空をひらめき、レオノアーヌの手首をしたたかに打ち付けた。
剣が弧を描いてレオノアーヌの手から飛ぶ。
「こンの……!!」
【遊びは終わりだ。】
ノスフェラトゥの手がレオノアーヌの首筋にのびる。
その時だった。
激しい火花とともに、鋭い一打がノスフェラトゥの身体を直撃した。
【む…、】
ノスフェラトゥの動きが一瞬止まる。
二人の間に割って入ったのはラジュリーズだった。間隙を入れず体当たりでノスフェラトゥの巨躯を吹き飛ばす。
「無事かっ!! レオノアーヌ!!」
「おっせ〜んだよダンナ、いつまで寝てる気だったんだ」
「ッ仕方ねえだろう、魔法で寝かせられちまったらしい」
「かっこわる……」
「やかましい!! 助けられといてその言い草はなんだ!!!」
無駄口を叩きながらも、二人は瞬時に互いの役割を理解し行動に移った。
素早く魔法の詠唱を始めるレオノアーヌ。オークから奪った大振りの剣を構えるラジュリーズが、詠唱中断の隙を与えぬようノスフェラトゥに斬り掛かってゆく。
レオノアーヌの放ったブリザド系魔法がノスフェラトゥの周囲で立て続けに炸裂した。狙いをかわされたわけではない。高々と宙に突き立てられた巨大な氷柱がノスフェラトゥの退路を塞ぎ、その場に釘付けにする。
ラジュリーズの俊足がノスフェラトゥに迫った。禍々しい爪を振り上げ、迎え撃とうとするノスフェラトゥ、しかしその眼前から、ラジュリーズの姿が瞬時にかき消された──────
刹那、高々と跳躍したラジュリーズが、完全にノスフェラトゥの視界外となった頭上からすさまじい一撃を撃ち下ろした。
ノスフェラトゥの身体が、ぐらりと衝撃に揺れる。
「スーパージャンプかよ、やるなぁ」
レオノアーヌが思わず口笛を吹く。
だが。
ノスフェラトゥの裂けた口から、呪詛に満ちた忌まわしい言葉が放たれると、華麗に着地したラジュリーズの身体がガクリと力を失った。そのままくるりと振り向き、更なる魔法を詠唱中で動けないレオノアーヌめがけて剣を振りかざしてくる。
「な、…ッおいおい、冗談だろッ!? 魅了とかされてんじゃねぇよ!!」
「死ねッ……!!」
「死ねじゃねえっつの!!」
すんでのところで詠唱を中断し、レオノアーヌが攻撃をかわす。
魅了中の人間の取る行動はひとつだ。術者が敵対心を持つ人間にただひたすら切り掛かってくる。だがそれは、相手をより効果的に倒す為の戦術や、自らの身を守る為の防御を伴わず、従って付け入る隙ができやすい。レオノアーヌはひたすらに自分の急所を狙ってくるラジュリーズの剣をかわしつつ、反撃のチャンスを窺った。
正気のラジュリーズ相手であれば到底通用しない方法であろうが、今の相手ならば。
レオノアーヌはラジュリーズの攻撃を封じ込めつつ、失った剣も同時に奪うため、タイミングを見計らい地を蹴った。
だが、レオノアーヌの身体を再び硬直が襲う。ノスフェラトゥのスタンに釘付けにされる身体に、レオノアーヌは怒り心頭に発し怒号を放った。
「てんめェ!! どこまで汚ねぇんだ!!」
轟音と共にラジュリーズの剣が振り下ろされる。
だが、その時、わずかに剣の軌道にブレが生じたのを、レオノアーヌは見逃さなかった。紙一重で攻撃をかわし、地に転がったレオノアーヌが素早く体勢を立て直す、…そして見た。
ラジュリーズの剣の切っ先が逸れた理由を。
ラジュリーズの右の足首が、何者かの手によって掴み上げられている。
どうっと、派手な音を立ててラジュリーズの身体が横転した。それと入れ替わるようにして、ゆらり、人影が地面から立ち上がった。
「ミュ…ゼル…ワール──────!?」
横転のショックで正気に返ったらしいラジュリーズが、地に背をつけたまま絶句する。
「何………!?」
レオノアーヌが思わず拳を構える。
ミュゼルワールは先程レオノアーヌの手から飛んだ剣を無造作に持ち上げると、
──────すっ、と刃先が踊り、鋭い切っ先がノスフェラトゥのいる方角にぴたりと向けられた。
【ほぅ、やはりな……。】
ノスフェラトゥが心底楽しくて仕方がないというように、くっくっと笑い声を放つ。
【わずかの間、我が楔から離れたのみでもう理性を取り戻すか──────。全く、半年余もの長きに渡り我が牙を受け入れながら、未だに人としての自我を保つなぞそなたが初めてぞ………。】
【……黙れ……!!】
ミュゼルワールがはっきりと獣人語で言い放つ。
【オレは………何ものにも従わん………!!!】
【さて、…それはどうかな………】
ゆっくりと、ノスフェラトゥがその長い爪を宙にかざす。
すっと、爪の先が横に揺れると、まるで見えない糸で操られているかのように、ミュゼルワールの身体がビクリと痙攣した。
【なるほどそなたの意志はそうかも知れぬ………。だが、その身体はどうだ…?】
【……貴…様………ッ!!】
【先程からそこな人間共が流す血の色、匂い──────そなたの身体は乾かぬか? 狂おしい程に欲してはいないか? その乾きを癒せるのはただひとつ、紅き血潮の迸りだけだ………!!!】
「や…め………ろッッ!!!!」
人の言葉を放つ、ミュゼルワールの身体が、抗えぬ力に打ち据えられるように、がくりと地に膝をつく。
その時。
「心配すんな。オレらがいる」
「ったく俺達抜きにして話進めんじゃね〜よ。しかも獣人語じゃこっちのダンナが取り残されて可哀相だろ?」
「なっ、オレだけ阿呆みてえに言うな!! 獣人語を喋れるなんざちっとも偉かねぇぞ!!」
震える身体を支えきれず、地に崩れ落ちるミュゼルワールの前に、二人が立ちはだかった。
「何言ってるかなんざ分からねぇが、どうせロクでもねえことだな?」
「まぁな。俺らにお仕置きされたくて仕方ねぇんだとよ。」
「そりゃご期待に応えねぇとな………!!」
視線がぶつかり火花を散らしあう。
その時、木々の梢を透かして、すうと、白い光が辺りに降り注いだ。
夜が空けたのだ。
白々と曙に染められた空が、雲が、山々の息吹を伝えてくる。
【今日のところはこれまで、か。血の同胞よ、覚えおけ、その歯車の動き不可逆なりと………】
ノスフェラトゥの姿が煙のように消えて行く。
油断なく武器を構えていた二人は、あっけない幕引きに思わず顔を見合わせた。
「な、…帰っちまいやがった………。」
「お前がお仕置きとか言うからだろ…。」
「っダンナがご期待に応えねぇととか言うからじゃんかよ!!」
「ハッ…」
ラジュリーズが唇の端を持ち上げる。
「おい、立てるか? ミュゼルワール」
ラジュリーズは剣を鞘に納めると、膝をついてミュゼルワールの上に屈み込んだ。
「うぅ…ッ………!!」
「無理そうだな。」
ラジュリーズが肩を貸してミュゼルワールを立たせた時、不意にばらばらと足音がして、武器を持った複数の兵士が三人を取り囲んだ。
「─────んあ?」
人間………だ。各々が王立騎士団支給の鎧を身に着けている。
突然のことに、ラジュリーズとレオノアーヌが周囲を見渡すと、いつの間にか、その山あいの一角は武装した兵士達にぐるりと包囲されていた。
つかつかと、高い足音を響かせて、一人の壮健の騎士が三人の前に姿を現す。
「鉄羊騎士隊か──────!」
ラジュリーズの声に、赤いベレーを被った王国大騎士──────ロンジェルツ鉄羊騎士隊長は、ギロリとすさまじい眼光を投げつけた。

