PHASE 3
"ラジュリーズ"
Rajelise
六年前 北サンドリア
某男爵家私邸内
手入れの行き届いた広い庭の一角で、狩猟服に身を包んだ少年が背丈の近いダルメシアンと共に草の上を駆け回っている。
さんざめく陽光の下、キンモクセイの生垣が強い芳香を辺りに振りまいていた。その生垣に遮られるように見え隠れする犬を追って、少年が息を弾ませながら土を蹴る。犬に追いついた少年は勢いのまま地面に倒れ込むと、抱え込んだ犬とじゃれあいながら弾けるような笑い声を放った。
ぴっちりと閉め切った二階の窓からは、庭でたわむれる少年と犬の姿が手に取るようによく見えた。強すぎる日差しを避けるため薄いカーテンが引かれた室内。あたたかな外の空気とは対照的に、古い書物の匂いが漂うその部屋はヒヤリとする冷気で満たされている。
控えめなノックの音が背後で響いた。カーテンの隙間から外の様子を見下ろしていた男は、振り返ることなく静かに告げた。
「──────入れ」
キィ、とかすかに扉の開く音。
「お館様、朗報でございます。」
音もなく姿を現した年老いた執事が、低い声でそう告げた。抑揚のないその声に、館の主は表情を変えぬまま窓の外から視線を外した。
「リシャールがようやく全てを吐きました。」
「果たして朗報と言える内容かな………、申せ」
「は。此度の愚行、どうやらバストゥークの過激分子にそそのかされてのことのようです。企みが成功した暁にはそれなりのポストを約束されていたとか。」
「愚かな………。そのような条件、信ずるにあたうか否かの判断がなぜつかぬ」
「着服した武器弾薬はデルフラント経由で運ばせているようです。いかがいたしましょう、共和国に達する前に回収班を向かわせますか?」
「…いや」
男は重厚な書き物机の前にしつらえられた赤いビロード張りの椅子に腰を下ろすと、両肘を肘掛けの上に置き、胸の前で手を組んだ。
「帳簿上は既に存在せぬものを回収してどうなる? 滅するのだ、証拠となるものは全てな………栄光ある鉄鷹騎士隊の輝かしい軌跡に影を落としてはならぬ。」
「……リシャールの処遇はいかに」
男は執事の顔をじっと見つめると無表情のまま言葉を続けた。
「任せる。お前なら私が望む通りの結末を引き出せるだろう。」
パシュハウ沼北西部
深夜
不意に降り出した横殴りの雨が、辛うじて保たれていた薄暗い視界をみるみるうちに奪い去っていった。
ぬかるんだ地面を打ちつける雨音はもちろんだが、吹き荒れる強風がひどく、通信相手の声はおろか、自分が発する声すらまともに耳に届かない。夜間以外はアクティブな敵の存在しない西際の細い通路に辿り着くと、隊を率いていた男は片手を上げて部下の進行を押しとどめ、途切れがちだった通信を再開すべく耳元のパールに意識を集中させた。
《聞こえるか、セキハヤ?》
鋭く問う声に覆いかぶさるように、遠くの空で雷鳴が鳴り響く。
《かろうじてな。その音、嵐か?》
《あぁ、いきなり降り出してきやがった。これだからパシュハウ沼は………ところで、さっきの話だが》
ごくりと唾を飲み込む音が自分の体内で響く。こういう音だけはなぜかはっきりと聞こえる。
パールごしにセキハヤが低く笑う気配が伝わってきた。男は内心の動揺を悟られまいと努めて平静な声を装って言った。
《手を引くと聞こえたような気がしたんだが──────気のせいだよな?》
ゴウッと嵐の音が高くなり、男はあわてて濡れた苔の光る岩肌へと身を寄せた。カッと落雷が空を割る。やや遅れて、耳をつんざくような雷鳴。
《そう聞こえたんならあんたの耳はマトモだと思うぜ、レイフ。》
《なっ……んだと!?》
激昂のあまり思わず高くなる声に、周囲の部下が怪訝な視線を向けた。レイフと呼ばれた男はそれには構わず、
《今更どういうつもりだ、貴様ッ!!》
《どうもこうもあるか。テメェらがヘタ打ったんだろ? おたくの雇い主とはしばらく前から連絡がつかなかったからな……、怪しいとは思ってたが、案の定だ》
《な、何の話だ》
《あんだよ、テメェらのボスがどうなったのかも知らんのか》
セキハヤは大袈裟に溜め息をついた。
《まぁ、今となっちゃ雇い主がどうこうよりテメェら自身の心配をすべきだな。俺にはどうでもいいことだが》
《何……?》
セキハヤは、パールごしにも分かるほどはっきりと侮蔑の色をにじませて会話を締めくくった。
《ロランベリー高地を出た辺りからずっとマークされてるぜ、あんたら………このパールは破棄させてもらう。せいぜいうまく逃げ切るこったな》
「くそッ……!!」
足元の水たまりをバシャッと蹴り上げるレイフに、部下の一人がおそるおそる声をかける。
「何があったんです?」
レイフはイライラと頭をかきむしっていたが、不意に部下に指先をつきつけ、
「おい、誰か俺らの後を尾けてくる気配はあったか?」
「へっ!? まさか、そんなわけは」
「だよなぁ!? クッソ、デタラメ抜かしやがってあの野郎──────」
「セキハヤは何と?」
レイフはじろりと周囲を見回した。
「リシャールの身に何かあったんだとよ。」
「な、………」
「うろたえんじゃねぇ、そんなんテメェが体よく身を引くための大ボラに決まってんだろうが!!」
「しかし、こちらから連絡を取りようがない今の状況では、安否の確認は………」
「──────…」
レイフは耳に装着したパールをかなぐり捨てると、靴底で粉々に踏みにじった。
「とりあえずコンシュタットに向かうぞ。デム岩の辺りで連絡係と合流できるはずだ。そいつなら何か知ってんだろ…、あれこれ考えんのはそれからだ」
そろそろアンデッドが沸き始める時間だ。レイフは目を細めて前方の闇を睨みつけた。
「とりあえずこの忌々しいパシュハウ沼だけでも抜けちまおう。全員スニークはかかってるな?」
「バッチリです」
「よし、行くぞ」
一際大きな荷物を背負った部下を最後尾に、彼らは移動を再開した。
相変わらず吹き荒れる嵐の音ばかりが耳を打つ。
(《ロランベリー高地を出た辺りからずっとマークされてるぜ、あんたら》)
脳裏によみがえる声に、レイフは黙って首を振った。
曲がりくねった細い通路は所々広い空地に繋がっていて、夜間になるとスケルトン族が複数出現する。感知さえされなければ危険はないが、急いで通過するに越したことはない。
一行は最初の空地にさしかかった。──────スケルトンは、三体。いずれも大鎌を携えた魔道士タイプで、強めの奴も混じっている。
聴覚を遮断する魔法の効果が切れないうちに、彼らは空地を横切った。
バシュッと、異様な音が響いたのは、隊のほとんどの者が空地を渡り終えた、その時だった。
大きな荷物を背負っていた最後尾の男が、ぐふッ、とくぐもった叫び声を上げて両膝をぬかるんだ地面につく。
「──────!?」
あわてて振り返るレイフ達の目の前で、最後尾の男は、太ももに突き刺さった太い矢と、そこからどくどくと流れ出る真っ赤な血潮を呆然と見下ろしていた。
「な、なんだよ、これ………」
咄嗟に状況を把握できず、地面に膝をついたまま仲間の顔を必死に見上げる。だが、仲間はこちらを見てはいなかった。彼らが凍り付いたような顔で見つめているのは、自分の背後──────だ。
男は振り返った。
カッと落雷が閃き、のしかかるように男を取り囲むスケルトン三体の姿が逆光の中にクッキリと浮かび上がった。何者かに矢を射掛けられることで聴覚遮断の魔法が切れてしまったことに、男はようやく気付いた。
「うわッ、わ、助け──────」
飛び散る、鮮血。大鎌の白い刃が鋭い軌跡を描き、足元の水たまりがみるみる赤黒くにごっていく。
「クソッ、応戦しろ!!」
レイフの声に、硬直し動けずにいた部下達がようやく反応した。だが、誰もが少なからずパニック状態に陥っており、即座には戦闘態勢に移れない。彼らは全員気付いてしまったのだ──────自分達は、明確な殺意を持った何者かに追われている。
またしても響く、鋭い音。風切り音と共に左肩に矢を受けた別の部下が絶叫し地を転げ回る。
「どこだ、どこから撃ってやがる!!」
大鎌を振り回すスケルトンに斬りかかりながら、レイフが怒号を放った。周囲に視線を走らせるが、吹き荒れる風と叩き付ける雨が視界の全てを覆い尽くしている。舌打ちしたレイフが迫り来る大鎌を刃で弾き飛ばした時、別のスケルトンの放ったスリプガIIがその場にいた全員を覆った。
(!! ……しまっ……た…)
空地が嘘のように静まり返る。
三体のスケルトンが、示し合わせたようにサンダガIIIの詠唱を始めた。
立て続けに炸裂する精霊魔法の斉射が、彼らの運んでいた武器弾薬の暴発を誘引したらしい。膨れ上がる球状の炎が次の瞬間凄まじい音と共に弾け、その場にいた全ての者を粉々に吹き飛ばした。
かろうじて爆発の範囲を逃れたのは、最初に何者かの矢を受け、すでに絶命していた最後尾の男だけだった。
一人だけ仲間と離れた位置に横たわるその死体は、大鎌で八つ裂きにされ原型を留めていない。背の高い草に囲まれ、青い花々を押しつぶして泥土の中に埋もれている。
残りの男達を一瞬で消滅させたスケルトン三体は、興味を失ったようにその場を離れると、ふらふらとあてもなく空地を彷徨い始めた。
さっと風が吹き、それを最後に嵐が嘘のように収まった。雨足が遠のき、ちらちらと細かい星の光が雲間からのぞき始める。
どこからともなく赤黒いコウモリが二、三匹現れ、冷たい星明かりの下で音もなく羽ばたき始めた。…ピチャッ、──────ピチャッ、雨露を含んで大きくたわむ草花が、あちこちから滴を地面にしたたらせる。
まるで何事もなかったように静まり返る空地に、すうと、気配を消して一人の男が現れた。
先程のレイフ達と同じく、聴覚遮断の魔法を使っている。すぐそばを大股で通り抜けるその姿に、スケルトンは見向きもしない。
男はまっすぐに空地を横切ると、骸と化した死体の山を見下ろした。
「──────…」
死体だけでなく、彼らの運んでいた荷物もことごとく灰と化している。唯一まともに残っているのは、最後尾の男が背負っていた大きな木箱だけだった。
大鎌に屠られた死体からは今もじくじくと血が染み出し、たまった雨水が作り出す小川のような流れに混じり込んでいる。男は伸ばした足先で骸をごろりと転がし、他に荷物がないことを確かめた。
離れた地面に放り出されていた木箱を肩に担ぎ上げ、足早にその場を去る。
狭い通路に場所を移すと、男は担いでいた木箱を乱暴に地面に下ろし、蓋に付いていた南京錠を剣の柄で叩き壊した。無造作に箱の蓋に手をかけ、中身を確かめる。──────その時初めて、男の表情が動いた。
(……………)
まじまじと、箱の中身を見下ろす。
男の耳に装着したパールが通話の着信を告げた。
《報告が遅い。状況はどうなってる》
男は軽く眉を上げると、木箱から二、三歩離れ、すっかり雲の消え去った鮮やかな星空を睨みつけた。
《たった今標的の全滅を確認した。実際に手を下したのはスケルトンだ、証拠になる物は残してない。》
《積荷はどうなった?》
《死体と一緒に灰になったさ。唯一残っていた木箱を確認したが、中身はただの食料だった。》
言いながら、ちらりと木箱に視線を投げる。
《ふむ、いいだろう。任務完了だ。念のため死体は全て燃やしておけ。》
《了解》
《クリアまで17分か……。ぬるいな。せいぜい精進することだ》
《………》
通話の終了を確認すると、男は顔をしかめ、がしがしと赤い頭髪をかきむしった。
苦虫を噛み潰したような顔で夜空を見上げていた男は、ふと思い出したように振り返ると、地面の上に放置していた木箱の側に歩み寄った。
「さて、──────どうしたもんかな」
誰にともなく呟く。
木箱の内側は布張りになっていて、申し訳程度に緩衝材が貼付けられている。
やけに大きく重い箱だと思ったのも道理だった。頑丈なロープでぐるぐる巻きにされ、木箱の中に押し込まれていたのは、どうみても痩せこけた人間の子供だった。
男は背中が濡れるのも構わず剥き出しの岩肌に寄りかかると、腰の物入れから煙草を取り出した。
パシュハウ沼の天候は極端に変わりやすい。一刻も経たないうちにまた嵐がやって来るだろう。叩き付ける雨が匂いをかき消してくれると言い訳のように思いながら、男は青い煙を深く吸い込んだ。
丸々一本煙草を吸い尽くす間、男は微動だにせず足元の木箱を見つめていた。
中に詰め込まれた子供は、生きてはいるようだが目に見えて衰弱しきっている。垢にまみれどす黒く染まった肌、ぐしゃぐしゃにもつれ泥で固まった髪。着ている物もぼろぼろに朽ち果てている。耳の形状でヒュームだと分かるが、やせ細った身体は棒切れのようで、これでは性別すら見ただけでは分からなかった。年齢は十前後、いってせいぜい十二、三というところか。
王都では数年前から年端も行かぬ子供の失踪事件が相次いでいる。バストゥークへと武器弾薬を運んでいた彼らは、奴隷商人でもあったのだろうか。
捕われた子供は救助されるべき存在だが、あいにく今は隠密行動中だった。しかも、自分に課された任務はこの件に関わった全ての人間を抹殺することだ。目撃者も例外ではない。
「ん〜……」
煙草を持つ指先がじりじりと熱い。男はこれ以上吸えない所まで短くなった煙草に視線を落とした。
いくら結論を引き延ばしたところで、得られる答えは同じだった。男は諦めて岩肌から身を起こした。
泥土にめり込んだ木箱に煙草を押しつける。男は無造作に手を伸ばし、中に詰め込まれた子供の身体を片手で掴み上げた。予想通り、痩せこけた子供の身体は大した重みもない。抵抗なくだらりとぶら下がる身体を肩に担ぎ上げると、男は空になった木箱を勢いよく宙に蹴り上げた。
折り重なる複数の亡骸に木箱が当たり、ぼろぼろと死体の欠片が崩れ落ちる。男は煙草の吸い殻を木箱の中に放ると、死体もろとも火を放ち、その場を去った。
ジャグナー森林。
鬱蒼と生い茂る木々の隙間から覗く空が夕闇の気配を漂わせている。
黒色のチョコボを休むことなく駆り続け、ロランベリー耕地からバタリア丘陵、そしてジャグナー森林へと到達した男は、王都へと続く北西の湖沿いのルートを前に突然チョコボの向きを変え、ジャグナー森林を南北に貫くティサレット河を遡るように南下していた。
整備された街道の存在しないジャグナー森林はいたるところに倒木や落石などの障害物があり、チョコボに乗ったままでは進行が困難な箇所が多い。鞍から下り、手綱を引きながらチョコボの先に立って歩いていた男は、迫り来る夜の気配を前に歩みを止めた。
どこか遠くで獣の遠吠えが聞こえる。呼応するように別の方向からも遠吠えが響く。これ以上の移動は危険だと男は判断した。
比較的安全な川沿いの窪地にキャンプを張ることに決め、手際よく野営の準備を整える男の姿を、岩肌の窪みにうずくまり身体を縮めた子供が探るような視線で見つめている。
ジャグナー森林に至る少し前に目を覚ました子供は、自らの置かれた状況を顧みても声一つ上げようとせず、抵抗らしい抵抗も見せなかった。感情が摩耗しきったかのように虚ろな瞳。
「坊主、お前名前なんてんだ? 名前くらいあんだろ?」
火をおこすために足元の地面をならしながら男は声をかけた。
「………」
「シカトすんなって…。オレ一人で喋ってるみてぇで寂しいじゃねえか。」
子供は黙りこくったまま、もの言いたげな視線をちらりと投げかけてくる。男は枯れ枝を集めていた手を止めると、ひょいと肩をすくめた。
「なんだよ、人に名前を訊く時はまず自分から名乗れってか? ──────オレはなぁ、ラジュリーズってんだ。ラ・ジュ・リー・ズ、分かるか?」
「………」
子供はラジュリーズに向けていた視線を足元の地面に落とすと、親指をくわえて動かなくなった。
湿った地べたに座り込む子供の姿を見下ろしていたラジュリーズは、ふと何かに気付いたように眉を上げると、つかつかと子供の側に歩み寄り、ゆっくりと地面に片膝をついた。うつむいた子供の顔に目線の高さを合わせる。
「お前、口がきけねえのか」
心配そうに覗き込むラジュリーズの視線から逃れるように、子供がビクリと身を縮めて後ずさりする。思わず手を伸ばしかけるが、余計怯えさせるだけだと気付き、ラジュリーズは溜め息をついて立ち上がった。
「脅かして悪りかったって…。頼むからそう怖がんな」
うつむいたまま肩をぴくりと震わせるところを見ると、どうやら聞こえてはいるらしい。ラジュリーズは子供がそこから動く気がないのを見て取ると、腰の物入れから淡色のパールを取り出し、その場を離れながら耳に装着した。
《…さぁなぁ。何しろ身元の分かるモンをなんも持っちゃいねえし………だから、無理を承知で頼んでんじゃねえか。とりあえず夜が明けたらそっち向かうからヨロシクな。……あぁ? お前の美容のことなんざ知るか!! こんな時間夜更かしのうちに入んねえよ!! と・に・か・く、頼んだぞ、いいな?》
何者かを相手に一方的に通信を終えたラジュリーズは、川沿いの窪地に戻ると火をおこして湯を沸かし、蜂蜜を湯で溶いたものを子供の側に置いてやった。自身も簡単な食事をすませ、近くの浅瀬へと下りていく。
流れの緩やかな浅瀬はさらさらと穏やかな水音を立てていた。ラジュリーズは周囲にアクティブな敵がいないことを確認すると、身につけた鎧を無造作に脱ぎ捨て、薄いシャツと下衣一枚だけの身軽な姿となって水の中に入っていった。
サワサワと梢の揺れる密やかな音。生い茂る葉の天蓋の隙間から星月の光がわずかに覗いている。離れた位置でゆらめく焚き火の炎が水しぶきに映え、光の届かない木々の奥に漂う漆黒の闇と鮮やかな対比を成していた。ラジュリーズは長い下衣の裾をまくり上げると、膝下を流れる水をかき分けるようにして川の中程まで進んだ。
四肢にわだかまる重い疲れは、今回のような任務についた時に現れる特有のものだ。たった二本の矢で大勢の人間を全滅に追いやるようなやり方に、彼はまだ慣れていない。
「──────…」
ラジュリーズは身を屈めて両手を流水に突っ込むと、バシャバシャと派手な音を立てて埃だらけの顔を洗った。
いっそのこと全身の汗も流したいところだが、さすがにそれは思い留まる。代わりに背後を振り返り、岩陰にうずくまったままの子供に視線を投げた。
ラジュリーズに対する警戒を解かない子供は、時折こちらにちらりと視線を向けはするが、決して向こうから近寄ってこようとはしない。だが人里に連れていくのに垢ダルマのままというわけにもいかないだろう。ラジュリーズは一度川から出ると、身を竦ませる子供の首ねっこを掴み、ボロボロの上衣を引きはがすと、下着一枚になった子供を担ぎ上げて川べりへと運んだ。
思いのほか本気で抵抗した子供が、次の瞬間、喉をひきつらせて凄まじい恐慌状態に陥る。
「………っ、おい、」
驚くラジュリーズの目の前で、全身を強ばらせた子供が獣じみた金切り声を次々にあげた。
一体今までどんな目にあわされてきたというのだろうか。人身売買に手を染める者の中には、売り手がつくまで商品である子供を慰みものにする輩もいると聞くが──────
気がふれたように髪を振り乱して暴れる子供の抵抗に構わず、ラジュリーズは川底に膝をつくと、小さな肩に両手を置いて子供の顔を覗き込んだ。
「なんもしやしねえよ。大丈夫だ、なんもしねえ………ほら、お前を傷つける奴がここにいるか?」
頬を撫でようと手をのばした瞬間、食いちぎられたかと思う程の強さで子供がラジュリーズの指に噛み付いた。
「──────ッ!」
肉がえぐれ、鮮やかな血が溢れる。
激痛に一瞬顔をしかめ、しかしラジュリーズは噛み付かれた手を引っ込めようともせず、もう一方の腕で子供の身体をかき抱いた。
「ひでぇ目にあったんだろ? 大人が怖いのか? ……お前のせいじゃねえのにな……。─────ごめんな…………」
自分に危害を加える気がないと悟ったのか、子供はようやく大人しくなった。
気が付けば二人とも川の水でびしょ濡れになっていた。
ちょうどいいやと、ラジュリーズはそのまま子供の顔や身体をごしごしと手の平でこすってやった。子供の顔は無表情に戻ってしまったが、少なくとも抵抗する気はなくしたらしい。
髪にしつこくからまっていた泥を流し、指で何度もすいてやる。泥の色一色だった細い髪は綺麗な夕日色になった。
自分の赤毛よりはいくぶんあたたかみのある色に、ラジュリーズが微笑む。
垢だらけだった身体は、乱暴にこするラジュリーズのせいであちこち赤みを帯びてはいるが、元は驚くほどの白さだったことが分かった。
──────そこまで気付いて、はたとラジュリーズの手が止まった。
「……………え〜…と?」
膝をついて目線の高さを合わせたまま、おそるおそる子供の顔を覗き込む。
やけに白くなった顔の中で、濡れた大きな瞳がラジュリーズの青い目を間近に見返した。
「──────っ!!!!!!」
ズザザッと派手に水音を立て、ラジュリーズはゆうにガルカ二体分は後ずさった。
「おまっ、──────お前、女のコか?」
そのまま水の中に尻餅をつく。
「………そっ、なッ、─────ばッ!!! ……ワザとじゃねえ、ワザとじゃねえぞ!!!」
幾度も強くこすられ、あざやかに血の色を浮かび上がらせる真白き肌。
「…………?」
ぴちゃりと、濡れた白い手を舐めながら少女が首をかしげる。湿った髪の束が剥き出しの細い肩をすべり落ち、胸の上に垂れた。なぜかどきりとラジュリーズの心臓が高鳴った。
「……い、いやいや!! 落ち着けオレ!! まだこんなちっせえ子供だし!! 男も女も関係ねえよ、なあ?」
本気で同意を求めるラジュリーズをじっと見つめていた少女が、不意にぱちゃぱちゃと水音を響かせて駆け寄ってきた。
「おい?」
川底に尻餅をついたままのラジュリーズの胸にまっすぐ飛び込んでくる。
薄いシャツをまとったラジュリーズの、シャツの襟をしっかりと握りしめると、──────少女はそのままラジュリーズに身体を預けて唐突に眠ってしまった。
「…は……はは………。」
翌朝、まだ夜の明けきらぬうちに二人はキャンプを出発した。
モンスターの類いに見つからぬよう、チョコボの手綱を引きながら慎重に道を選んで進んでいく。
目的地であるラヴォール村までは大人の足なら半日とかからず着く距離なのだが、足の萎えた子供を連れていてはそうもいかなかった。この分では村につくのは夕刻になるかもしれない。
相変わらず無表情ながらも、少女はラジュリーズの側から離れなくなっていた。チョコボの背に乗せようとしたラジュリーズに逆らい、危なっかしい足取りで歩く少女は、死鳥の飛び立つ音に怯えてはラジュリーズの足にしがみつき、安心させようと頭に手を置けば伺うような視線で見上げてくる。
女の子だからといってさほど騒ぐことではなかったと今更ながらにラジュリーズは溜め息をついた。夕べは月の光をはね返す川の水が不可思議な幻を見せただけなのだろう。明るい陽光の下では色気のかけらも見当たらないただの子供だ。
もともと子供好きなラジュリーズは、少女が自分の動きに反応するようになったというだけで上機嫌だった。
ラヴォール村まで半分ほどは距離を稼いだだろうか。そろそろ休憩するかとラジュリーズが考えた時、不意に高らかな足音と共に複数のチョコボ騎兵が現れ、二人を取り囲んだ。
いずれも見慣れた鎧を装備している。所属する隊こそ違うが、王立騎士団の者であることは明白だった。
王国兵は見たことのない顔ばかりだった。皆一様に、長旅の後の疲弊しきった表情をしている。彼らの一人がラジュリーズを睨みつけ、おもむろに口を開いた。
「その鎧、王国の者だな? こんな所でたった一騎で何をしている。所属と階級は?」
騎乗したまま横柄に問う男は、自分とさして年齢も違わないように見える。そういえばその男だけでなく、その場にいる者達は皆若い。
ラジュリーズが黙っていると、別の男が不機嫌そうに訊いた。
「そのヒュームの娘は何だ。」
「………」
「我々はここへ来る道すがら、共和国のクソ野郎共と一戦交えてきたばかりだぞ? ──────もう一度聞く。そのヒュームの娘は何だ?」
ラジュリーズはぐっと唇を引き結ぶと、騎上の男達を真っ向から見返した。
「このガキは捕虜だ。王都へ牽引する途中夜陰に紛れて逃げ出したので、見つけて連れ戻すところだ。」
「ほう……王都への道からは随分と距離があるが………。」
「このガキ意外に逃げ足が早くてな。」
男達が無遠慮に少女の身体をじろじろと眺め回している。少女が怯えた表情を浮かべてラジュリーズの背後に隠れた。
「………だったら俺達がそいつを連れてってやるよ。」
互いに目配せを交わしつつ二人を取り囲んでいた男達の口調が、突然変わった。
彼らの一人が不意にチョコボに鞭をくれ、ラジュリーズの身体に衝突しそうな勢いで突進してくる。咄嗟に身を引いたラジュリーズがしまったと手をのばした時、別の男が騎上から身を乗り出し、少女の身体を地面の上からかっさらった。
軽々と肩に抱え上げられた少女が、甲高い悲鳴を上げる。
「何しやがる!!」
「いやァ、別に? お前さんを疑うわけじゃねェが、最近捕虜をみすみす逃がすような馬鹿が増えてるみてぇでなぁ?」
「オレがそうだってのか!?」
「さぁな。ま、てめぇの所属も言えねェような奴はどう思われても仕方ねぇだろ。」
「………オレは今密命を帯びて動いてる。言いたくても言えねえだけだ!!」
「口では何とでも言えるだろうさ。あ〜ひょっとしてアレか? そのガキ草むらにでも押し込んで好き放題しようって魂胆か? だったら安心しな、俺達があんたの分まで可愛がってやっからよ。」
「……なッ……!!」
「あンだよ、その目はぁ? ヒュームのクソ共なんざ、そんぐれぇの役にしか立ちゃしねえだろ?」
ラジュリーズは目の前の男達の豹変振りに若干の戸惑いを隠しきれなかった。この言動──────彼らは本当に自分と同じ王立騎士団の一員なのだろうか?
少女の悲鳴が再び響いた。
ラジュリーズは一瞬拳をきつく握りしめてから、──────不意に、ふっと口元をほころばせた。
………そうか、と口の中で呟く。
(──────つまりは、力ずくでどうにかしていいってこったな。)
スラリと、剣を抜き放つ。
「んあ? なんだやる気か?」
「この人数相手に勝てるとでも思ってんのかよ……」
口上を打つ男達の視界から、不意にラジュリーズの姿が消えた──────
直後、騎上で手綱を握っていた一人の男の右手首から、バシュッと音を立てて高々と鮮血がほとばしった。
動転し、身体をぐいと後ろに引いた男が、自分の腕を見下ろす。
身体を引く動作に右手だけがついてこない。
手綱がだらりとチョコボの背からすべり落ちた。右手首が同じくチョコボの上からすべり落ち、手綱を握りしめたままユラユラと宙に揺れている。
「なッ!!!──────あああぁああ!!! 手がッ、俺の手があッ!!!!」
「貴ッ…様………!!!」
次々に騎上の男達が剣を抜き放つ。
ラジュリーズがクッと上体を落とし、次の攻撃に移ろうとした時、
「てめぇら何遊んでやがる──────」
不意に声が響いた。
大きな声ではなかった。だが、威圧的な響きを持つ低い声を耳にした瞬間、騎上の男達がビクリと身体を震わせ、一斉に動きを止めた。
それまでの男達とは異なる色のチョコボに跨がった男が、凍り付いたようなその場の空気を割り裂き、ラジュリーズの前に姿を現わした。一見して隊長クラスと分かる派手な鎧。風になびく白銀の髪。
「うるせえぞ。黙らせろ」
切断された手首から鮮血をまき散らしつつ悲鳴を上げる部下に、じろりと一瞥をくれるとその男は言い放った。
慌てて数名の部下が負傷した男の周りに群がり、暴れる身体を抱え上げてその場を離れる。
白銀の髪の男は一切の表情を浮かべぬまま、その場に残った部下の顔を順番に眺めていった。──────その視線が、少女を肩に担ぎ上げた男の上で動きを止める。
「……あ、隊長、これは──────…」
言いかけた男の身体が、次の瞬間チョコボの上から派手に吹き飛んだ。
部下の顔面に裏拳を炸裂させた男は、宙に吹っ飛んだ部下にも、衝撃で同じく宙に弾き飛ばされた少女にも視線をくれず、あからさまに不機嫌そうな声で呟いた。
「オレは帰って寝てえっつってんだろうが。厄介事増やすんじゃねえよ、馬鹿が」
少女の軽い身体が宙を舞う。剥き出しの岩肌に叩き付けられる寸前、ダイブしたラジュリーズの身体が地面との間に割って入った。
岩場に叩きつけられ、みしみしと音を立てる自分の身体も顧みず、ラジュリーズは起き上がると自分の上に折り重なっていた少女の身体を抱え上げた。ひどく泣きじゃくってはいるが、怪我をしたわけではなさそうだ──────涙でぐしゃぐしゃになった顔を押し付けてくる少女を見下ろし、ラジュリーズはほっと胸をなでおろした。
「─────随分無茶な真似してくれるな。」
少女の頭を片手で抱いたまま、ラジュリーズが怒りに満ちた声を放ち、白銀の髪の男を睨みつける。
対するは、抑揚のない声。
「少なくともそれはオレの役目じゃねえ。違うか?」
それ、というのは、どうやら少女をかばうことを言いたいらしい──────ラジュリーズは少女に被害が及ぶことを意にも介さないその男を敵と判断すべきか迷った。
「そんなしょっぺぇガキ相手にいちいちサカッてんじゃねえよ。王都はもうすぐなんだ。顔面陥没したまま一生過ごしたくなけりゃ隊列乱すんじゃねえ………行くぞ」
部下に言い放ち、きびすを返す男に、ラジュリーズの鋭い声が突き刺さる。
「…待てよ。」
「──────あ?」
男は振り返ると、騎上からジロリとラジュリーズを見下ろした。
「まだ何か用か。まさか詫び入れろとか抜かすんじゃねえだろうな? そっちはオレの部下を一人再起不能にしたんだ、あいこだろ。」
「……そんなんじゃねえ」
「だったらなんだ。」
「──────あんた、誰だ」
挑むような口調で言い放つラジュリーズを男はしばらくまじまじとみつめていたが、やがて白銀の髪を揺らしながらクッと深く笑った。
「ハッ、てめえは名乗りもしねえクセに──────まあ、いい。オレは赤狼騎士隊のミュゼルワールだ。貴様の名は死線の先で相見えることがあったら聞いてやるよ。」
* * *
これは自らが招いた結果だというのか。
ヴェスティーレは顔を歪め、鋭く舌打ちした。
ラヴォール村、早朝。中央島にひっそりと建つ修道院前。
副官が恐る恐るといった表情でヴェスティーレの顔を見上げている。
「隊長、申し訳ございませんっ!! 自分がアルノーから報告を受けた直後に、隊長にお報せしていれば──────」
「………。いや、お前のせいじゃない」
ヴェスティーレは努めて平静を装いながら答えた。
責めるべきは副官ではない。そもそも隊長である自分が村を離れさえしなければ起こりえなかったことだ。
ヴェスティーレがラヴォール村に到着したのは、ギュスターヴの手によってラジュリーズが連れ去られた一刻後だった。ほぼ入れ違いであったにもかかわらず道中で遭遇しなかったのは、向こうがそうと知ってルートを変えたからなのだろう。
「やってくれたな、ギュスターヴの野郎………!!」
ヴェスティーレは握りしめた拳を乾いた壁に思い切り打ちつけた。近くの木に繋いでいたチョコボが驚いて鳴き声を上げる。
「隊長が戻られるまでと幾度もお引き留めしたのですが、王命を持ち出されては如何ともしがたく…」
「王命…王命な………。なぜだ、なぜオレの所には何の情報も入ってこねえ?」
「……隊長……」
ヴェスティーレは凄まじい憤怒を打ち払うように二、三度大きく首を振ると、不意に顔を上げた。びくりとする副官の顔をまっすぐに見据え、
「各隊に命令が下された………、奴は確かにそう言ったのか?」
「は、はい」
「──────…」
「…隊長?」
ヴェスティーレは拳を唇に当ててしばらく宙を睨み据えていたが、副官の呼ぶ声に振り返ると、険しい表情のまま矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「アルノーの隊をジャグナーから呼び戻せ。神殿騎士団の奴らと最初に接触した時の様子を直接聞きたい。マヤコフ殿はどこにいる? ──────そうか、可能ならアルノーの隊と合流させるように。オレは彼らから話を聞き次第王都に戻る。………ポーシャとか言ったな、すまんがオレと一緒に王都に来てもらうことになりそうだ。」
それまで副官の傍らで茫然自失の体でいたポーシャが、名を呼ばれてはっと顔を上げた。
「…はい、わたしは構いません。ラジュリーズさまのためならどこへなりともお連れください。」
頷きかけたヴェスティーレは、ふと顔を歪めると、片手を軽く上げてポーシャの言葉を制した。
「──────いや。待て」
ヴェスティーレは眉間を押さえ、歯切れ悪く言葉を継いだ。
「……え〜と。ぶしつけな質問ですまんが、あんたラジュリーズの女なのか?」
「え?」
ポーシャが一瞬視線を宙に彷徨わせる。
「い、いえあの、そういう………わけでは………。」
「惚れてはいるんだろ?」
「…………」
真っ赤になってうつむくポーシャを横目で見ながら、ヴェスティーレは小さく溜め息をついた。
「だったら連れてくわけにゃいかねえか。こんな訳の分からん事態にあいつの女を巻き込んだなんて知れたら後で何言われるか分からんしなぁ。──────悪い、さっきのは撤回する。あんたは村にいてくれ。」
「いえ、わたしも連れていって下さい!! 何もせずに村で待っているなんてできません!!」
「すまんが、答えはノーだ。どうやら我が王立騎士団は得体の知れない状況に陥っているようでな。ただでさえ獣人共の動きが不穏だってのに、厄介なこった。」
「隊長さま………!!」
ヴェスティーレはすがりつくポーシャの手を押さえてゆっくりと首を横に振ると、そっと手を離し、足早に部屋を出た。
「替えのチョコボを用意してくれ。オレのは半日走り通しで使い物にならん」
前を見据え、階段へと続く廊下を靴音も高らかに歩きながら、ヴェスティーレは後ろに付き従う副官に声をかけた。
「隊長、マヤコフ殿がアルノーの隊と合流できなかった場合はいかがいたしましょう」
「その時は連絡がつき次第王都へ向かうよう伝えてくれ。オレは当分自由に動けそうにねえからな、何かあれば奴に動いてもらうことになる。」
「了解、そのように伝えます」
「──────ちと一人にしてくれ。ヤボ用だ」
ヴェスティーレは部下を周囲から追い払うと、軍から支給されたパールを外し、プライベート通話に切り替えた。
《アシュメアか、オレだ》
《ヴェスティーレか。そろそろ連絡が来る頃だと思っていた》
平時であればこの回線を無闇に使うなと眉を吊り上げるアシュメアが、今回はその素振りすら見せていない。ヴェスティーレはイヤな汗がこめかみを伝うのを感じた。
《ヤバいことになった。ラジュリーズがギュスターヴの隊に連行されたらしい。》
《な……?》
アシュメアが息を呑む気配があった。
《どういうことだ? なぜ奴がラジュリーズの居所を知っている?》
ヴェスティーレは立ち止まると唇を噛んだ。
《すまない、オレのせいだ。ラジュリーズはオレの部下が発見したんだが、その情報が神殿騎士団に漏れたらしくてな。オレがラヴォール村に戻る直前にかっさらわれちまった。》
《頭の痛い話だな…。ラジュリーズの拘束令が発せられただけでも隊に動揺が走っているというのに………》
《気になってたのはそのことなんだ。なぜあいつが拘束されなきゃなんねえ?》
ヴェスティーレの問いかけに、アシュメアが重い口調で答える。
《…行方不明だったミュゼルワールらしき者の目撃情報が上がったことは既に話したな。その情報は目撃者を保護した我が隊の隊員とクスロー卿、あとはラジュリーズしか知らないはずだった。だが、その目撃者は王都に帰還してから熱病にかかり、還らぬ人となってしまったんだ。死ぬ直前、錯乱した男はミュゼルワールが仲間を惨殺したと口走ったらしい………我々にとって不運だったのは、その男の最期を看取ったのがギュスターヴだったということだな。従軍司祭という立場を考えれば仕方のないことだが》
《ふむ…》
《事は公にされ、ラヴォール村に調査に赴いたラジュリーズが消息を断ったことも公表せざるを得なくなった。ラジュリーズは自分の隊の者を一人も連れず、傭兵団の長を連れて現地に向かっただろう? それが災いしたんだ。その傭兵団の長は何かと不穏な噂の絶えない男でな。神殿騎士団は以前からそいつに目を付けていたらしく、その者とラジュリーズが結託して造反を企んでいるのではないかと主張したんだ。》
《下らねえ…!!》
ヴェスティーレが吐き捨てるように呟く。
《そうだな……。ともかくミュゼルワールの件を公表せず秘密裏に調査を進めたのは事実だっただけに、クスロー卿も強くは出れず、今回の発令に至ったというわけだ。》
《──────…》
ヴェスティーレはしばらくのあいだ押し黙っていたが、やがて口を開いた。
《ギュスターヴは各隊に王命が下されたと言ってたらしいが、本当なのか? なんでオレの隊には何も伝達が来ねえ?》
《王都にいる我々ですら拝命したのはつい先程だ。遠地へは今まさに伝令が向かっているところなのではないか?》
《つい先程……? 計算が合わねぇな。仮に拘束令の発動と同時にラジュリーズの所在を掴んだとしても、ギュスターヴがオレより先に村に着くのは不可能じゃねえか?》
《…そもそもラジュリーズを拘束するよう国王陛下に進言したのはギュスターヴなんだ。》
《なんだと……》
《ヴェスティーレ、これはあくまで推測だが》
アシュメアは声を落とすと、慎重に言葉を選びながら言った。
《お前は一連の動きから意図的に外されたのではないか? 確かにお前の言う通り、ラジュリーズの所在を掴んだのが拘束令の発せられた後なら、こんなに早く事が運ぶはずはない。お前が村にいたならなおさらだろう? 王命といえどお前がラジュリーズをそう簡単に奴の手に委ねるとは思えんからな。…ギュスターヴがお前の不在をどうやって知ったのかは分からんが、ラジュリーズの所在を掴むと同時に村に向かう準備を全て整え、その上で上申したと考えるのが自然だ。》
《オレの不在を知って──────か、クソッ》
《心当たりがあるのか?》
ヴェスティーレは忌々しげに顔を歪めた。
《ああ。奴とは南サンドの従者横町でばったり会っちまってな。》
《そうか……。王都に残って情報を収集するよう命じたのはわたしだ、すまないことをした………》
《お前のせいじゃねえよ。そういや他の連中の反応はどうなんだ? 拘束令に異論を唱える奴は誰もいなかったのか?》
アシュメアがかすかに吐息をもらす気配があった。
《異論どころか、鉄鷹騎士隊の連中など今にも謀反を起こしかねない勢いだ。クスロー卿が自ら説得に赴き、どうにか抑えてはいるがな。》
アシュメアの声には疲労の色がにじんでいる。獣人軍との全面抗争の幕が切って落とされた矢先の出来事なのだ。王都に激震が走ったであろうことは想像に難くない。
《まぁ当然だな。鉄羊や赤狼は?》
《赤狼隊もかなりまずい状態だな……。ミュゼルワールの帰還を待ち望んでいた彼らにとっては、最後通告をつきつけられたも同然だからな。》
《………》
《ラジュリーズが消えた夜、ラヴォール村で一体何があったんだ──────》
ヴェスティーレはゆっくりとかぶりを振った。
《可能な限り調べ回ってみたが、決定的な情報はなかったな。…だが、いくつか分かったこともある。直接会って話せねえか? アシュメア》
《時間を作るよう努力はするが、お互い難しかろうな》
《まぁな。とりあえずオレは隊の者と二、三打ち合わせてから王都に戻る。何か動きがあったら報せてくれ。》
《わかった》
一度は通信を打ち切ったアシュメアが、まるでついでのように通話を再開してきた。
《早まった真似はするなよ、ヴェスティーレ──────ただでさえギュスターヴはお前を目の敵にしているんだからな。ラジュリーズ絡みでは気も逸ろうが、ギュスターヴに足をすくわれるような失態だけは晒すなよ。》
一瞬言葉を飲み込んだヴェスティーレは、ふっと息をつくと、苦々しい笑みを口の端に乗せた。
《お気遣いありがとよ。ついでに奴がオレを目の敵にする理由もお前の口から聞かせてほしいもんだが》
《そんなものわたしが知るか………。早く王都に戻って来い、ぐずぐずするなよ。》
北サンドリア北西、工人通り。木工ギルドの建物の屋上。
ヴェスティーレとの通信を終えたアシュメアは、白色のパールを耳から外そうとして、ふとその手を止めた。
《…──────・────……・・──────》
雑音………だろうか。回線を閉じる直前、かすかだが確かに耳を打った不自然な音に、アシュメアは眉をひそめ、手にしたパールにじっと視線を落とした。
(盗聴──────? いや、まさかな………軍から支給されたものならともかく、このパールはヴェスティーレとわたししか持っていないはずだ。盗聴される価値など、)
ない………はずなのだが。
アシュメアは目を細めると、宙空を睨み据えながら再びパールを装着した。
回線を開き、サーッというノイズに耳を傾ける。ヴェスティーレが応答したことを確かめると、アシュメアは口を開き、はっきりと一言一句区切りながら声を発した。
《ヴェスティーレか、たびたびすまないな。急ぎだから返事は結構、聞くだけ聞いてくれ。さっきの話だが、やはり早いうちに一度会って互いの情報を整理する必要がありそうだ。明日の夜なんとか時間を作れないか? わたしは昼過ぎに一度登城しなければならないが、日の落ちる前には幕舎に戻れると思う。…そうだな、夜の七時、場所は西ロンフォールの北西の塔でどうだ? わたしは八時までなら待っている。必ず一人で来いよ、無理そうなら連絡をくれ。頼んだぞ。》
(取り越し苦労だといいのだが………)
今度こそ取り外したパールをポケットにねじ込みながら、アシュメアは溜め息をついた。
「………隊長様。お仕事中のところお邪魔をいたして申し訳ございません」
ためらいがちに掛けられる声に、アシュメアは振り返った。木工ギルドのギルドマスターがエプロンで手を拭いながら階段を登ってくる。
「かまわない、こちらこそ屋上を借りてしまってすまないな。」
「とんでもない。こんなむさ苦しいところでは大したお構いもできませんが、ご入用とあらばいつでもお使い下さい。」
「ありがとう。で、わたしに用とは?」
「は。実は隊長様に面会を希望する者が、下に」
「わたしに?」
アシュメアは思わず聞き返した。ここに来ることは隊の一部の者にしか伝えていない。面会というからには当然隊以外の者なのだろうが、はたして。
「…会おう。済まぬがここに呼んでくれないか」
「ここにでございますか」
「うん、頼む。」
ここまで見晴らしの良い場所では、誰であろうと小細工もできまい。かしこまりましたと頭を下げてギルドマスターが姿を消すと、アシュメアは腰の双剣の柄に軽く手を掛け、細く息を吐き出した。
しばらくして、階段を登ってくる二つの足音がアシュメアの耳に届いた。──────ひとつは体重の軽い人間のもの。そしてもうひとつは、………
アシュメアはすうと目を細めた。もうひとつは人間の足音ではない。
油断なく周囲を伺いながら階段を見据えていたアシュメアは、しかし二つの影がゆっくりと姿を現すのを見ると、軽く目を見開き、ほっと肩の力を抜いた。
「お前か。一体どうした、こんなところまで」
ぺこりと丁寧に頭を下げたジョゼアーノが、かたわらのリーダヴォクスの頭部に手を添え、無理に頭を下げさせる。
「こんにちは、アシュメア様。お元気そうで何よりです。──────ほら、リーダ、ごあいさつ」
ぐいぐいと頭を押すジョゼアーノの手を鬱陶しげに払いのけたリーダヴォクスが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。アシュメアはあわてて手を振ると、
「あぁ、かまわん。そう無理に礼を通さずとも」
「そうはいきませんよ。リーダが神殿騎士団の方々に拘束された時、一刻も早く解放できるようにご尽力下さったのはアシュメア様なんですから。」
「はは、そんなこともあったな。」
今でこそ王都の中に身を置いているリーダヴォクスだが、ジョゼアーノが彼女を最初にここに連れて来た時の騒動はそれはひどいものがあった。トンベリによる要人暗殺未遂の現場にたまたま居合わせてしまったリーダヴォクスは、獣人であるというだけの理由で容疑者の烙印を押され、ジョゼアーノの懇願も空しく監視塔の監房に幽閉されてしまったのだ。
「あの時リーダを問答無用で縛り首にしろと主張したのは、神殿騎士団の方々よりもむしろ王立騎士団の方々だったのだと後で知りました。外地で常に獣人達と交戦状態にある彼らですから無理もありませんが………アシュメア様が説得して下さらなかったらと思うと、今でもゾッとします。」
「なに、わたしだってそのゴブリンの身元を保証するのがお前でなかったらどうしていたか分からんさ。」
「そんなことはないでしょう。………ほら、リーダったら。お世話になった方にお礼を言うのは獣人も人間も一緒だろう?」
また脳天に手を添えようとするジョゼアーノをぶんぶんと腕を振り回して追い払うと、リーダヴォクスはアシュメアをまっすぐに見上げ、声を上げた。
「コイツの言うこと、気にスルな。ゴブリンにはゴブリンの作法ある。お前、リーダ助けてくれた。恩人にはその日の糧を分かつべし。………食え」
ごそごそと背中の荷袋を漁ったリーダヴォクスが、何やら怪しげな匂いを放つ乾物を取り出し、手の平の上で二つに分けた。差し出される片方を、アシュメアが戸惑いながら受け取る。
「リーダ、リーダったら、何無茶なこと言い出すんだい!! ………あ、いいんですよアシュメア様、無理に付き合って下さらなくても」
「あ〜…、いや、構わないさ。少なくとも人間が口にできない物は出さないだろう」
「当たり前ダ。もちろん毒でもないよォ? リーダ特製のゴブリンチョコ、なかなかの美味」
言いながら、手にした塊をリーダが口に頬張る。乾物と見えたのはどうやらチョコレートであるらしかった。それにしてはそうと見えない色と匂いだが、アシュメアはリーダがパキパキと音を立ててチョコを食べるのを見下ろし、意を決したように手にしたそれを口に含んだ。
「あぁ〜、アシュメア様…」
「うまいか?」
頭を抱えるジョゼアーノの横で、リーダヴォクスが満足そうに目を細める。アシュメアは小首を傾げながら口の中の物を咀嚼していたが、やがてごくりと喉を鳴らすと、ふむ、と頷いた。
「悪くはないな。人が作る物より美味いような気もしないでもない」
「アシュメア様、おやさしいにも程があります………」
「ジョゼ、愚かな上に失礼ナ奴。」
リーダヴォクスはフンと鼻を鳴らすと、改めてアシュメアの方に向き直り、機嫌良さげに両手を広げた。
「お前、リーダの仲間。人間が言うトコロの、同じ釜のメシ、ッてやつねェ〜。お前になら、とっときの情報、タダであげるよ?」
「情報……?」
アシュメアが聞き返すと、復活したジョゼアーノがアシュメアの前に身を乗り出した。
「そ、そうなんです。実はリーダが今朝とんでもないことを言い出しまして。でも、拘束されちゃった前回のこともあるし、どなたに言えばいいのか正直迷っていまして………」
「言ってみろ」
アシュメアは唇を引き結び、真剣な表情を浮かべた。
「な、──────」
アシュメアが眉を吊り上げる。
「お前、それが本当なら大変なことだぞ………。」
「はい、僕も最初聞いた時は耳を疑いました。でもリーダは意味もなく嘘をつくことはしません。情報が正しいかどうかはともかくとして」
「ジョゼ、いい加減ニしロ!! そんなにリーダ怒らせたいか?」
リーダヴォクスがぴょんぴょんと飛び跳ねながら怒りを見せた。ジョゼアーノはあわてて両手を振り、
「あ、いや、そんなんじゃないんだよ。怒んないでリーダ」
「お前ニはもう話さないッ!! ……アシメア、リーダ信じるな?」
「あ、あぁ、もちろんだ。」
アシュメアはなだめるように両手をかかげると、リーダヴォクスの顔を正面から覗き込んだ。
「今回もトンベリ絡みだったからわたしの所に来た………、そうなんだな?」
リーダヴォクスがこくりと頷く。ジョゼアーノはリーダヴォクスの顔色を伺いながらも、早口で喋り出した。
「そうなんです。なまじ前回のことがあるだけに、またリーダが関わっていると誤解されたら今度こそ取り返しのつかないことになりそうで、どうしたらよいかと…。かといって放っといていい話でもありませんし。リーダと二人でよく話し合った結果、アシュメア様にご相談差し上げようということになったんです。」
「なるほどな……。」
アシュメアは思案気に視線を宙に走らせると、軽く腕を組み、静かに呟いた。
「──────トンベリが再び王都に潜入を企んでいる、か………。前回の暗殺未遂の標的が誰だったのかは、結局のところ分からずじまいだった。第二第三の刺客を差し向けてくる可能性は十分にあるな………。」
「リーダも又聞きの又聞きで情報を仕入れたらしく、絶対の自信があるわけではないと言っていました。でも、取り越し苦労ならよいのですが、もしそうでなかったら」
「…そうだな、よく聞かせてくれた。この件は慎重に対応させてもらう。」
「………あの。この話の情報源についてですが」
言いにくそうに口を開くジョゼアーノに、アシュメアはふっと笑みを浮かべると、人差し指を前に突き出してみせた。
「安心しろ。差し当たってはわたしが独自に入手したことにするさ。幸いわたしの隊は情報収集が専門だ、特に不自然でもあるまい。」
「リーダも僕も、報酬が目当てでこのお話をしたのではありません。何もなければそれに越したことはありませんし、もし何か不吉なことが起きるのであれば、なんとしてでも事前にトンベリを止めなくては。心を砕いて説得すれば、きっと通じ合うものがあるはずです。」
それはどうだろうか──────、内心アシュメアは思ったが、口には出さずに頷いてみせた。
* * *
ジャグナー森林。
チョコボを疾走させるヴェスティーレがラヴォール村に辿り着く半刻ほど前。
後ろ手に拘束され自由を奪われたラジュリーズが、神殿騎士の牽引するチョコボの背に乗せられ、朝もやの漂う暗い森の中を移動している。
ラジュリーズを捕えてからのギュスターヴの行動は驚く程速かった。出立を妨げようと食い下がる茜隼騎士隊員には目もくれず、あらかじめ用意してあったチョコボにラジュリーズを乗せると、魔道士系の騎士団員に命じ移動魔法を唱えさせる。
ジャグナー森林のテレポイントに瞬時に移動できるその魔法は、一部の軍関係者にしか使用が許可されていない特別なものだった。修道院の一室を後にしたギュスターヴの隊は、わずか五分後にはティサレット川の分岐点から北西に伸びる崖沿いの道を王都へと向けて進んでいた。
ラヴォール村に運び込まれた際、治療のために脱がされた鎧を取り戻す暇はなく、修道院を出たラジュリーズは薄い上下をまとっただけの肌寒い姿をしていた。だが今は擦り切れたガンビスンを肩にはおり、かろうじて暖を保っている。修道院を離れる直前、突然駆け寄ってきた村の少女に差し出されたガンビスンは色あせており、所々に血の跡が散っていた。戦死した兄のものなので返す必要はないと呟く少女に、ギュスターヴが嘲るような視線を向けていた。
空を渡る死鳥族の鳴き声が遠くで響いている。日の出の時刻が近いはずだが、重くたれこめた雲が空を覆い尽くし、夜の暗さが消えない。
ラジュリーズはチョコボの背の上でぶるっと身体を震わせると、息を詰め、不意に襲ってきたひどい目眩をどうにかやり過ごした。
やはり身体が本調子ではない。ピクシーの手によって生還したとはいえ、戦闘不能状態で長く放置された身体は自分が考える以上に深刻なダメージを受けているのかもしれなかった。
王都へと向かうギュスターヴの一行はジャグナー森林の中央部にそびえる険しい岩山を迂回し、西の崖沿いに北上を続けていた。このまま進めばいずれはメシューム湖の青いきらめきが木々の梢の間から覗くはずだ。
衰弱したミュゼルワールを保護し、レオノアーヌと三人でキャンプを張ったメシューム湖畔。たった二日前のことなのに、今置かれた状況からはあまりにも遠い。
(レオノアーヌ、今どこにいる……? ミュゼルワールの身体は平気か? せめて二人一緒ならいいんだが………)
王都に着き、デスティン国王に目通りが叶ったならば、すぐにでも捜索隊を編成してもらうようラジュリーズは直訴するつもりでいた。ミュゼルワールにかけられた嫌疑も、自分を取り巻く疑惑も、釈明の機会さえ与えられれば必ず晴らすことができる。彼はそう信じていた。
抗うべき敵は闇の王率いる獣人血盟軍の中にのみ存在するのではない。ラジュリーズはそのことにまだ気付いていなかった。

