龍の系譜 PHASE1

CREW EDGE

龍の系譜






PHASE 1

"ミュゼルワール"
Mieuseloir








 天晶暦862年
 5月


 獣人血盟軍の突然の蜂起を前に、ノルバレン騎士団が大敗を喫したジャグナーの戦いからわずかひと月後。


 王都サンドリアは、押し寄せるオーク帝国軍の猛攻に晒されていた。
 それまでにもオーク族の小隊との小競り合いは幾度となくあった。だが、このように組織だった大群がまっすぐに王都を目指し押し寄せるなどかつてないことだった。
 王立騎士団長クスロー子爵は外征の任に当たっていた王立騎士団直下の各騎士隊を召集、ラテーヌの地に陣を張り、ノルバレン方面から進軍してくるオーク軍を迎え撃った。だが、ジャグナーの戦いの大勝利で勢いに乗るオーク軍は、ふくれあがる勢いのままにラテーヌ高原の防衛線を突破、東ロンフォールへとなだれ込み、ついには堅牢な城壁が守りを固める王都の周辺を幾重にも包囲するに至った。
 防衛戦は凄惨を極めた。逃げ惑う市民の誘導や補給線の確保、情報収集などの後方任務を神殿騎士団が担う一方、王立騎士団はロンフォールの地を紅に染める勢いで剣を振るい、敵勢力を大聖堂や王城といった王国中枢部へ近づけぬよう死力の限りを尽くして戦った。
 実に三週間に渡る激戦の末、ついに王立騎士団はオーク帝国軍を退けることに成功した。王都は守られたのだ。
 撤退していく敵部隊を追撃するだけの余力は残されていなかった。辛勝という言葉がまさにふさわしく、疲弊しきった王国のあちこちで、かつては堂々とはためいていた紅獅子の王国旗が、引き裂かれあるいは炎に焼け落ちて、無惨な姿を晒していた。








 それから一週間ほどたったある日。


 鉄鷹騎士隊隊長ラジュリーズ・B・バルマは、王立騎士団長クスローに呼び出され、ドラギーユ城の作戦会議室にいた。


 ラテーヌでの壮絶な戦いにおいて常に前線にあった鉄鷹騎士隊は、その兵力の半ばを失い、王都での再編成を余儀なくされていた。ラジュリーズ本人はほぼ無傷であったものの、負傷兵の搬送や治療所の手配、被害状況の把握、屠った敵将の確認など、事後処理に忙殺され、この一週間王都から出られないでいる。


 ラジュリーズは直立不動の姿勢を取ると、ブーツの踵を打ち合わせ敬礼した。
「鉄鷹騎士隊隊長ラジュリーズ参上致しました。」
「うむ。」
 壁に掲げられたクォン大陸の勢力図に視線を向けていたクスローは、振り返ると小さく頷いた。
「まずは隊の状況を聞こうか。」
「は。我が隊は先の防衛戦にて兵の六割を失しており、現在王都にて再編成中であります。とはいえ王都もこの窮状ゆえ、さしあたって動ける者は破壊された城壁の修復、及び他部隊への支援にあたらせております。」
「そうか。卿の隊は最前線の激戦区にあったからな。」
 クスローは勢力図に記されたラテーヌ高原の位置を睨み上げると、
「東ロンフォールへの侵入こそ許したものの、ラテーヌで敵の戦力を大幅に削ぐことができたのは卿の隊の活躍あればこそだ。戦死者の霊は丁重に葬ってやらねばな。」
「もったいなきお言葉、いたみいります。」
 ラジュリーズは恭しく頭を下げた。
「ですが、そのお言葉、赤狼騎士隊副隊長ローランにもかけていただきたく─────。我らと共に最前線にて剣を振るった隊なれば。」
 ラジュリーズの言葉に、クスローが眦をふと曇らせる。
「赤狼騎士隊か。………未だ赤狼騎士隊が他部隊への編入を拒んでいるというのは誠なのか? 此度の戦とて、隊長不在のままの出撃、隊本来の持ち味を生かせていたとは思えぬ。」
「ローラン殿は隊をよくまとめあげているように見えましたが。さすがミュゼルワール卿の腹心だけのことはあるかと」
「………そのことだが。卿に折り入って話があるのだ。」
 クスローが視線を巡らせると、あらかじめ話を含んであったのか、入口に詰めていた衛兵二人が、クスローとラジュリーズを残し作戦会議室を去っていった。
「折り入ってのお話とは?」
 ラジュリーズが問うと、クスローはしばらく口を閉ざし、宙を睨みつけていたが、やがて重い口を開いた。
「今から話すことは我が団のごく一部の者しか知らぬ。神殿騎士団にも、国王陛下への報告すら差し控えている。心して聞かれよ。」
「は。……」


「昨夜、ジャグナー森林にて敵の動向を探っていた緋猪騎士隊が、負傷し意識の途絶えた我が軍の兵士を一人保護した。その者はどうやらオーク軍の捕虜となっていたようだが、脱出に成功し、一人ジャグナーの森を彷徨っていたらしい。その者は目を覚ますと、我々に二つの情報をもたらした。」
「………」
「一つは、オーク軍に捕えられた捕虜の居場所だ。ジャグナーの戦いの際、ラヴォール村にも火の手が及んだのは知っておるな? その後、我々はラヴォール村からほとんどのオークを駆逐したが、唯一、北西の集落を占拠した部隊だけは未だに抵抗を続けている。捕虜となっていた兵士はその北西集落に監禁されたと言っていた。」
「ほう…?」
 ラジュリーズは眉を上げた。
「奇妙な話ですな。あの村は入口が一カ所のはず。そこを我々に押さえられては、奴らは出入りも叶わぬはずでは?」
 クスローは頷くと、
「それについては調べがついている。奴らの中には有翼のデーモン族が混じっていたそうだ。空を行き来されては、我らとて手出しは出来ぬということだな。」
「なるほど…。」
「そして、もう一つの情報だが」
 クスローは入口の扉にちらりと視線を流した。
 サンドリア国王直轄の王立騎士団の長が、その本拠地たる王城内ですら人目を憚らねばならぬ事案とはなんなのか─────。ラジュリーズは緊張が走るのを意識した。
「その兵士は確かに見たのだそうだ。集落を占拠したオーク共の群れの中に、赤狼騎士隊長ミュゼルワールの姿があるのを。しかもあろうことか、捕虜の兵士の幾名かはミュゼルワールの手にかかって殺されたそうだ。」
 ラジュリーズは目を見開いた。


 話は半年程前にさかのぼる。
 ミュゼルワール率いる赤狼騎士隊は、ザルカバードで遭遇したオーク偵察部隊を追い、北方のウルガラン山脈で激しい戦闘を繰り広げていた。
 オーク山岳部隊とは度重なる衝突を繰り返してきた彼の隊である。敵の部隊が少数だったこともあり、勝敗はあっさりと決するかのように思われた。──────だが。
 そこに突如、漆黒の巨躯に翼を持つ魔物を主力とする謎の部隊が現れた。


 三年程前から、北方の地でオーク帝国軍と死闘を繰り広げた謎の勢力があったことは知られていた。だが、それらが何者で、何の目的を持ち行動しているのか、分かる者はいなかった。──────後にデーモン族と呼ばれるようになる異形の者達と、まともに人間が接触したのは、ミュゼルワールの隊が最初だったのである。


 自軍の勢力を遥かに凌駕する敵軍の出現に、赤狼騎士隊は撤退を余儀なくされた。ザルカバードからボスディン氷河を抜け、ラングモント峠を越えてあらかたの兵士は帰還を果たしたが、しんがりを守っていたミュゼルワールが王都に帰還することはついになかったのである。


「結局ミュゼルワールの死体は見つからなかったと聞いていますが………しかしまさか、」
「まさかと思いたいのは我とて同じだ、ラジュリーズ卿。」
 クスローは重々しい口調で呟いた。
「ミュゼルワールによく似たシャドウか、もしくは、既に死したミュゼルワールがアンデッドとなり蘇ったか─────。いずれにせよ、事が公になる前に真偽を確かめねばならぬ。オークらと行動を共にしているのが真実ミュゼルワールなら、アルタナの女神の名において裁きを下す必要があろうからな。」
「………」
 ラジュリーズはしばらく押し黙っていた。
 クスローはラジュリーズの顔を正面から見据えると、きっぱりと言い放った。
「鉄鷹騎士隊長ラジュリーズ。汝に指令を与える。ラヴォール村に潜入し事の真偽を確かめよ。捕虜をその手にかけたのがミュゼルワールでなければよし、万一ミュゼルワールであったならば、拘束し王都に連れ帰るのだ。」
「連れ帰った後の処分はいかに──────?」
 呟くラジュリーズに、クスローはゆっくりと首を振った。
「同胞を手にかけた罪は重い…。よくても終身刑は免れんだろう。」
「ですが、敵に操られている可能性も否定できないのでは?」
「ラジュリーズ卿」
 クスローの声に厳然たる響きがこもる。
「卿は騎士道を何と心得る? 護るべき同胞を歯牙にかけ、なおも生き延びようとする者を騎士と呼べようか?」
「………」
「連れ帰るにあたってだが──────」
 クスローはラジュリーズに背を向けた。表情の見えぬ声で続ける。
「ミュゼルワールが人としての意思をいまだ有しておれば、裁きも意味を成す。だが、既に魔に堕ちていたならば、公平なる裁きも意味を成さなくなる──────…。その時はラジュリーズ卿。卿の手で、せめて王立騎士団の一翼を担う者にふさわしい最期を遂げさせよ。」





*         *         *






 “王立騎士団の名誉の為にも表立った行動を取ることは許されない。作戦に連れて行く人員は任せるが、必要最少数に抑えるように。遂行に必要なものがあれば追って支給する。”
 クスローの言葉に、ラジュリーズは、獣人語を解する者を一人斡旋してほしい、それ以上は必要ないと答え、その場を辞した。


 作戦会議室を後にしたラジュリーズは、神殿騎士団が警備を固めるドラギーユ城門を抜けると、戦火の名残が色濃く跡を残す閲兵場へと出た。
 オーク軍が南サンドリアの外壁を打ち破り、王国内になだれ込むことはついになかったので、北サンドリアの建造物や各施設に被害が及ぶ事はなかったのだが、石畳の閲兵場から左へ抜けて大聖堂へと至る道は、ある意味今回の防衛戦の被害の程度を最も如実に現す場所となっていた。
 道の至る所に負傷した兵士が横たえられ、薄い毛布を一枚かけられただけで動く事も出来ずに震えている。在来の病院だけではとても足りず、北サンドリアの大聖堂が負傷者収容所として臨時に解放されているのだが、広大な大聖堂の敷地にすら収まりきらぬ数の負傷兵が表に溢れ、閲兵場の手前まで道を埋め尽くしているのだ。
 医師や看護士の数も到底足りるものではなく、市民のボランティアに混じり、神殿騎士団員も負傷者の介護にあたっている。
 ラジュリーズはしばし足を止めその様を眺めていたが、やがて顔を上げ凱旋門へと歩を進めた。


 自分に下された密命をラジュリーズは思い返していた。
(なぜ、オレなんだ──────? 話の内容からいって、事を知る人間の数は増やさねぇにこしたことはねえ。緋猪騎士隊長はクスロー卿の配下だ、その緋猪騎士隊が得た情報なら、王立騎士団本隊でカタをつけるほうがたやすい気がするが………)
 だが、しばらく考えて、ラジュリーズはその考えを打ち消した。緋猪騎士隊は元々偵察や情報収集を得意とする部隊であるし、王立騎士団本隊はバタリア丘陵に陣を敷いたオーク軍を牽制するために出陣している。加えて、鉄羊騎士隊は王国支配下にあるブンカール浦防衛のため出撃準備中、赤狼騎士隊に至っては当のミュゼルワール本人が率いる隊であるため、今回の作戦に当たらせることは到底出来ない。
(結局、当分の間隊を動かせねぇオレに白羽の矢が立ったってわけか………。)
 凱旋門をくぐろうとした時、ラジュリーズは外地から帰還してきたばかりの赤狼騎士隊の面々と遭遇した。
 今回の王都防衛戦が起きる遥か以前より北方の地でオーク軍との戦闘に明け暮れていた赤狼騎士隊は、外征が長いせいか非常に粗野な荒くれ者が多く、ただでさえ反目しがちな神殿騎士団はもとより、王立騎士団の中にあってすら彼らを批判的な目で見る者は少なくない。そんな彼らが、しかしいざ戦闘となると各戦線の中でも激戦区を任されるのは、その豊富な戦闘経験もさることながら、隊を率いるミュゼルワールの将としての器の広さあるがゆえだった。一武人としてもすさまじい剣技を持つ彼は、決して戦局を見誤ることなく、的確な采配で荒ぶる部下を手足のごとく動かし戦場を切り拓いていく。
 その将なき今、赤狼騎士隊が本来の持ち味を活かせているのかというクスローの問いはもっともなものではあった。しかしラジュリーズは、赤狼騎士隊を解体し他部隊に編入させるというクスローの方針にも納得できずにいる。


 主の帰りを待ち続ける赤狼騎士隊に同情するわけでもなかったが、しかし自分とて、どこか心の内では、ミュゼルワールの死を疑っていたのではなかったか、──────
 副隊長のローランがこちらに気付き目礼を送ってくる。隊が解体の危機に晒されているというのに、彼らの歩みに迷いはなく、ドラギーユ城へと消えていく堂々とした後ろ姿には、強靭な意志が感じられた。


 彼らは迷ってなどいない。信じているのだ、ミュゼルワールが必ず帰ってくると。


(“女神の名において裁きを下す”、か─────。オレがその役に選ばれたのがアルタナの思し召しだってんなら、せいぜい好きにやらせてもらうとするか。)








 その日の夕刻。
 クスロー卿から斡旋された、獣人語を解するという傭兵が現れるはずの場所で、ラジュリーズは一人報告書に目を通していた。
 その報告書は先のジャグナーの戦いにおいてノルバレン騎士団を壊滅に追いやった獣人血盟軍に関するレポートだった。ミュゼルワールの隊が過去に一度遭遇したことがあるのみで、情報がほとんど存在しなかったデーモン族の戦闘に関する詳細な記述がある。俊足で獲物に追いつき高位の攻撃魔法を繰り出すデーモン族。空を飛翔するアーリマン族の使用する特殊技の数々。死の宣告をばらまき、巨大な爪で騎兵をなぎ倒してゆくタウルス族──────。
 これらの情報を得る為に、どれだけの犠牲を払わねばならなかったのか。王都を包囲したのがオーク軍のみだったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。


 報告書を真剣に読みふけっているうちに、いつの間にか日が暮れてしまっているのにラジュリーズは気付いた。
 そういえば、待ち合わせ場所に現れるはずの傭兵が姿を見せない。
 クスロー卿からは、王立騎士団長の署名入りで召集状を発行したと聞いている。すでに待ち合わせの時間を大幅に過ぎているが、何かあったのだろうか?
 クスロー卿に問い合わせてみるべきか。しかし、ラジュリーズは立ち上がりかけてふと思い留まった。
 クスロー卿はこうも言っていた。その傭兵、腕は確からしいが、性格に色々と問題があると。
「ふむ。──────」
 小さく頷くと、ラジュリーズは報告書をキャビネットに無造作にしまい、幕舎を後にすると、すっかり日の落ちた街の中を歩き出した。


 南サンドリアの番犬横町の路地裏にあるその酒場は、まだ宵のうちだというのにすっかりできあがってしまっている傭兵達で溢れかえり、賑やかな歓声を店の外にまでまき散らしていた。先の防衛戦の勝利で王国から多額の報酬を受け取った彼らは、金に糸目をつけず大いに飲み、食い、女の腰に手を回しては下卑た嬌声を上げている。
 王国を護る正規軍の騎士達の間では、報酬目当てに戦場を渡り歩くこれらの傭兵を、獲物にたかるハイエナと揶揄する者も少なくなかった。事実、報酬さえよければ敵国であるバストゥークやウィンダスにさえ魂を売り渡す輩である。彼らが頻繁に出入りするようになってからは、この界隈にプライベートで足を運ぶ騎士はいなくなってしまった。
 ラジュリーズは開けっ放しの入口の敷居をまたぐと、混雑した店内を一度ぐるりと見回してから、入口付近に立っていた女客の一人に声をかけた。
「レオノアーヌというのはどいつだ?」
 壁にもたれかかり、しどけない格好で光る肌を晒す女は、言い寄ってくる男共と適当にいちゃつきながらラジュリーズの顔を見上げた。
「あいつになんの用…? あら、結構いい男ね、あんた」
「そりゃどうも。君のそのカッコもなかなか魅力的だ。」
 後ろから抱きつく傭兵に白い首筋を吸われながら、女が顔をのけ反らせ高らかに笑う。かなり酔いがまわっているようだ。
「いやぁだ、騎士様に真顔でそんなん言われたら、アタシふらっとついてっちゃいそうだわぁ…。レオノアーヌならあそこよ。まともに相手してもらえるか知んないけど。」
「ご丁寧にどうも、お嬢さん」
 再び派手に笑い出す女を後に、ラジュリーズは指し示された奥のテーブルへと歩き出した。


 大股にフロアを横切るラジュリーズを、傭兵達が怪訝な目で見やる。ここは俺達の縄張りだと言わんばかりの視線にも構うことなく、紫煙と熱気の渦を抜けると、ラジュリーズは奥まった席でポーカーに興じる男達の前に立った。
「お前がレオノアーヌだな?」
 アッシュグレーの髪の男に声をかける。しなだれかかる女を脇にはべらせ、黒の着衣を着崩しただらしない格好で、いかにも色事の好きそうなその男は、カードを手にしたままラジュリーズの方を見向きもしなかった。
「こんなところで何をしている。王立騎士団長殿より出頭命令がなかったか?」
 言うと、レオノアーヌはちらりと、視線だけでラジュリーズの姿を見上げた。
 クスロー卿の話によると、私設の傭兵団を率いる平民出身の将らしい。いくつか存在する傭兵団の中では最大規模と聞いているが、いずれも非公式のものであり、報酬次第でどうとでも動く彼らのこと、国を護る国力の一つに数えることなどできなかった。レオノアーヌもそれを分かっているのか、ラジュリーズの王立騎士団の鎧を見ても敬意を払うでもなく、フフンと鼻を鳴らすとすぐカードに視線を戻した。
「シカトたぁいい度胸じゃねえか。」
「…聞こえねぇ」
「あぁ? もう一度言ってやろうか?」
 ラジュリーズが語気を強めると、レオノアーヌは手にしたグラスから強い酒を水のようにあおり、女を脇に押しやるとめんどくさそうに振り向いた。戦場に赴くには少々華美に過ぎる王立騎士団の磨き上げられた鎧を見上げ、
「………人違いじゃねぇの? ここはお偉いお貴族様が出入りするような場所じゃねぇぜ?」




レオノアーヌ
illustrated by Kyo@Studio D-Crew





 ラジュリーズは不敵に笑うと、不意に粗末なテーブルに手をかけ、酒瓶やグラスごと派手な音を立ててひっくり返した。
「っなにしやがる!」
 グラスの飛散する甲高い音とレオノアーヌの怒号に、店内の客が一斉に視線を集める。
 ラジュリーズはボキボキと拳を鳴らすと、ニヤリと笑いレオノアーヌを睨みつけた。
「お偉いお貴族様とやらに紙切れ一枚で呼び出されるのは不満か? ならテメェの納得いくようにしてやるぜ。」 
「──────おもしれぇッ! やれるモンならやってみやがれ!!」








 数刻後。


 最初は面白がって、取っ組み合う二人に声援を送っていた傭兵達だが、騒ぎの拡大に乗じてここぞとばかりに参戦する者が相次ぎ、店内は文字通り嵐の吹き荒れた後のような滅茶苦茶な様相を呈していた。
 多勢に無勢であったにもかかわらず、ほとんどの者はラジュリーズ一人にのされ、あえなく床にのびている。
 どさくさに紛れてレオノアーヌに殴りかかった傭兵もいたようだが、これもレオノアーヌの返り討ちにあい、ことごとく失神していた。
 床に座り込み、立てた片膝に顎を乗せて大きく息をついていたレオノアーヌは、かろうじて割れずに床に転がっていた酒瓶に手を伸ばした。


 やや離れた場所で床に片膝をついていたラジュリーズが、その酒瓶を横からかすめ取る。
 どうやら、決着のつかないまま両者体力切れとなってしまったようだ。
 うまそうに喉を鳴らして酒を飲むラジュリーズに、レオノアーヌがだるそうに手を上げてよこせの合図をした。それに気付き、半分程に中身の減った酒瓶をラジュリーズが放ってやる。


 ぱしっと片手で受け取り、レオノアーヌは赤い液体を一息に飲み干した。口の中が切れているため血の味がする。
「なんなんだよあんた………」
 ラジュリーズの貴族らしからぬ好戦的な態度に、ふてくされたような声を出す。あっさり床に這いつくばらせるはずが、意外にも喧嘩慣れしたラジュリーズは手強く、取っ組み合ううちに横から拳を繰り出してくる外野を絶妙のタイミングで二人揃ってぶちのめしたりと、殴り合う敵同士のはずが妙な連帯感まで生まれてしまっていた。あげくの果てには、決着のつかないまま、床に座り込んで同じ酒を口にしている。


「あんたみてぇなお貴族様ははじめてだぜ…。」
「そりゃ褒め言葉か? ありがたく受け取っておくぜ。」
「嫌味だよ、分かれよそんくらい」
「はっは、お貴族様は高尚なもんでな。」
「………」
 どうにも調子が狂う。


「…なぜ召集に応じない?」
 ラジュリーズの問いに、レオノアーヌは空になった酒瓶を放ると、足を前に投げ出し、両手を床について上体を後ろに反らせた。
「従う義理はねぇぜ。俺は正規の軍人じゃねぇ、フリーの戦争屋だ。王立騎士団長直々のお達しだかなんだか知らねぇが、旨味がなけりゃ動く気はねえよ。帰ってお偉いさんにそう伝えるんだな。」
 口調こそ皮肉めいているが、レオノアーヌの顔にはさして不快そうな色はなかった。使える体力を全て使い切った後の、心地よい脱力感が全身を包んでいる。


「よかろう。ならばオレが個人的にお前を雇いたい。獣人語を解するお前にしかできない仕事だ。報酬は相場の倍でどうだ?」
「──────?」
 レオノアーヌが眉を上げる。
「そりゃあんたのポケットマネーか?」
「まぁな。」
「はッ……」
 レオノアーヌが思わず呆れたような声を上げた。
「そりゃまた随分と気前のいいこったな。まぁ…、どうせ兵達もちったぁ休ませにゃならんしなぁ…。オッケー、やるぜ。型破りなお貴族様の酔狂に付き合うのも悪くねぇ。訳ありらしいがそんなん知ったこっちゃねぇや、俺はもらえるモンさえもらえりゃいい仕事すんぜ?」
 ラジュリーズはニヤリと笑った。
「いい返答だ。作戦を説明するからついてこい。」


 ラジュリーズが立ち上がり、店を出ようとすると、それまでカウンターの奥に引っ込んで一切姿を見せなかった店主が顔を出した。
「お待ちを、騎士様─────、店の修理代はどなたにおつけすればよろしいんで?」
「店主、いたのか………。」
 立ち止まるラジュリーズに、店主はニヤリと笑顔を見せた。
「こんなご時世ですからな、酒の上での喧嘩なんぞ日常茶飯事ですわ。あっしは修理代さえいただけりゃ文句はございません。」
 さすが戦時下で開店するだけのことはある。ラジュリーズは呆れたように溜め息をつくと、ずっしりと紙幣の挟まれた札入れを取り出した。





*         *         *






 ラヴォール村
 深夜


 南の浅瀬から川を遡っていくと、修道院の建つ中央島に近い辺りから不意に闇が濃くなってゆく。
 村の住人達は皆南東の集落に避難している。今、二人のいるエリアから北に、人の姿は一切ない。


 闇に紛れ、さらに川を北上しようとするラジュリーズが、何かに気付きふと足を止めた。
「──────?」
 いぶかしげに彼を見るレオノアーヌに、ラジュリーズは黙ったまま上を指差した。低い羽ばたきがかすかに聞こえる。
「見慣れねぇ敵だな? 随分ちっせえ影だが、鳥……じゃねぇな。」
 低く呟くレオノアーヌにラジュリーズが頷く。
「脱走した兵士の話じゃ、あのモンスターが哨戒の役目を果たしてるらしい。視覚遮断を見破るそうだ。」
「うへぇ」
 レオノアーヌが露骨に嫌な顔をしてみせる。
「オーク共は北西の集落を頑なに死守してやがる…、あんなモンスターを配置してまで、一体何を守ろうってんだ?」
 呟くラジュリーズに、レオノアーヌはさぁ?というように両手を広げた。
「んなことより、俺らが探してる捕虜は間違いなくその中にいんだろうな?」
 レオノアーヌの問いに、ラジュリーズは黙って頷いた。
 作戦の真の目的など話せるはずもない。レオノアーヌには、オーク軍に捕えられた捕虜を救出に向かうとだけ告げてある。
「しかしなんだって、あんた自分とこの部下を一人も連れてこねぇんだ。騎士様なんざどこに行くにも護衛やら従騎士やら連れ歩くもんじゃねえのか?」
「………詮索はしないんじゃなかったのか?」
 責めるでもなく低く笑うラジュリーズに、レオノアーヌはひょいと肩をすくめた。
「そういやそんなこと言ったっけな。悪りィ悪りィ」
 川の流れが途中から二手に分かれている。レオノアーヌは行く手を顎で指し示し、ラジュリーズの方を見た。
「…こっから、どう進む?」
 ラジュリーズはためらうことなく足を踏み出した。
「西だ。丘に上がるぞ」








 歩哨兵の哨戒をかわしつつ曲がりくねった細い山道を北西に抜けると、剥き出しの岩肌の向こうにサンドリア様式の質素な家屋がまばらに立ち並ぶ集落が見えた。
 岩陰に身を隠し、集落を覗き見たラジュリーズが呟く。
「やはり敵の数が多いな…。」
「確かになぁ。どーするよダンナ、一発デカイのぶち込んだろーか?」
「その前に捕虜の場所を確認しねえとな。」
「どうせそんなにたくさんはいねぇだろ? 大して時間かかりゃしねえよ。」
「だといいんだがな………」


 その時、不意に、ざわりと広場が騒がしくなった。
 歩哨のオーク達が持ち場を離れ、広場の最北に位置する家屋の周りに群がりはじめる。


「なんだ………?」
 その時不意に、闇をつんざくような悲鳴が辺りに轟いた。
 思わず二人が剣の柄に手をかける。
 家屋の中から続けて上がる悲鳴、これは人間の声、だ──────。


 広場に飛び出そうとするラジュリーズに、レオノアーヌが声を放った。
「待てよ!」
「ッ、何だ?」
「東の通路の見張りが手薄になった──────広場の中央を突っ切るより、北の通路を迂回して東に回ったほうが確実だ。」
「なんで分かる?」
「さっきまで東の通路でだべってた訛りのきついオーク共が広場に出てきてんだよ!」
 言うが早いか、西の岩肌伝いに北西の通路へ向けて走り出す。
 ラジュリーズも後を追った。付近を徘徊していたインプですら北の家屋の周囲に集まり、西の壁際をすりぬける二人に気付いた様子はない。


 北の山道を迂回し、二人は東の通路から再び広場を望んだ。
 そこからなら、広場に出なくとも家屋がすぐ間近に見える。


 眼前に広がるのは異様な光景だった………家屋をぐるりと取り囲むオーク達は、哨戒の役目も忘れ果て、熱に浮かされたように上ずった唸り声を上げながら身を寄せ合いひしめきあっている。だがそこには誰かに向けられた明確な敵意はなく、むしろ恍惚とした表情で、家屋の中にある一点を見つめている。


 夜気を引き裂くような悲鳴がまた響く。ラジュリーズが顔をしかめると、レオノアーヌが岩陰から半身を乗り出したまま聞こえるともなく呟いた。
「…イケ…ニエ…?」
「あ?」
「【捧げよ─────生贄の喉笛からほとばしる熱き血潮を………その生命もて稀なる紅き魂(たま)に注がん、千にも及ぶ仮夜の夢をぞ終わらさん………】」


 レオノアーヌの顔面には色がない。まるで他人の意志が彼の身体を借りて語っているかのようだ。レオノアーヌが口にしたのは獣人公用語だったが、もちろんラジュリーズにはそんなことは分からなかった。
「おい? ………どうしたんだ、一体」
 レオノアーヌが不意に耳を塞いだ。
「奴らが─────口々に言ってやがるんだっ………!! 畜生、耳から離れねぇ!!」
「奴らが………?」


 ラジュリーズには獣人語も、ましてやインプのささやきもノールの遠吠えも理解はできない。しかし広場を埋め尽くし夜気を震わさんばかりの声、声、声─────獰猛な熱気と共に立ちのぼる呪詛に満ちたその声は─────…


 ぞくりと、ラジュリーズの全身が総毛立った。


「突入するぞ」
 ラジュリーズの声にレオノアーヌが眉を吊り上げる。
「あぁ!? 何言ってやがる、奴らの声が聞こえねぇのか? 獣人はな、思考回路は粗野でもそれなりに理性もありゃ統制も戒律もある、だが今のあいつらは………どう考えてもまともじゃねぇ………!!」
「だから何だ」
「ダンナ死ぬ気か?」
「少なくともまだ死んじゃいないさ。」


 言うなり、今度こそラジュリーズは広場に飛び出した。


 呆然と後ろ姿を見送り、チッと舌打ちすると、レオノアーヌも後を追うべく周囲を窺った。


 レオノアーヌの視線の先には家屋のやや手前で固まったように立ち止まるラジュリーズの姿がある。敵に見つかったのかと身構えるが、ラジュリーズもレオノアーヌも襲われる気配はない。
 ラジュリーズの視線の先には、開け放たれた家屋の扉があった。


 ぴちゃ………っ
 かすかな音がする。


 扉に群がるオークの鎧ごしに、揺れる家屋の灯りがある。
 ラジュリーズの背後に辿り着き、レオノアーヌも建物の中に目を向けた。
 銀髪──────あれは銀髪だろうか、鮮やかな鮮血を浴びて、光り輝くプラチナシルバーの髪が赤く濡れている。
 ぴちゃッ………ぐちゅ、ぴちゃり。…びちゃり。


(うっ………!!)
 思わず口をついて出そうになった呻き声を、レオノアーヌはかろうじて飲み込んだ。


 シャドウか? ──────いや、シャドウではない。
 シャドウならば漆黒に塗りつぶされるはずの肌は真白く、金色に輝くはずの眼孔には確かに人間の瞳がある。


 ミュゼルワール・B・アンシェル──────
 半年前に行方知れずとなり、その命ついえたと誰しも思っていた人間がそこにいた。


 捕虜のサンドリア兵の喉元に長い牙を深く穿ち、ズタズタに引き裂かれた傷口からあふれる鮮血をすすり飲み干しているそれを、人間、と呼べるならだが──────…。